ビジネスに役立つ哲学

2022.01.05

人間関係について

ビジネスに役立つ哲学11:職場に必要な人間関係とは

職場の人間関係に悩んだことはないだろうか。親しい友人になりたいわけではないが、ある程度良好な関係性を築きたいと考えるのが普通だ。だが職場の人を選ぶことは難しい。好きでも嫌いでも、一緒に仕事をするのだ。では、選ぶことのできないその人たちと、どんな関係性を築けばいいのだろうか。

「職場の人間関係」について、フランスの3人の哲学者の「考え方」を紹介しよう。もし、彼らが「職場の人間関係」について悩んでいる、現代に生きる私たちにメッセージを送るとしたら、きっとこんな言葉をかけてくれるはずだ。
※「ビジネスに役立つ哲学」の連載では、作家でありモラリストでもある大竹稽氏が、フランスの哲学者になりきって、現代の迷い、悩めるワーカーにメッセージを送ります。


仕事上の人間関係は、「義務」と考えてみればいい
その言動は、義務として「すべきこと」を言っているだけだと


3_phi_001_05.png人間関係は無数にある?親子に夫婦、兄弟や恋人。師弟もそうだし近所づき合いも。これら無数にありうる人間関係を一括りにしたとき、何が語れるかは悩ましい問題だ。

だが、職場で発生する人間関係、具体的には上司と部下、そして同僚ということならば話は早い。親子の情、兄弟愛、あるいは師匠としてのひそやかな思いやりなどは、この際一切、考慮する必要はないのだ。

職場で起こることは、すべて「すべきこと」でしかない。仕事とは、何よりもまず、すべきことを果たすことだ。「すべきことを果たす」とは、仕事をするうえでの義務なのだ。人間関係も、この義務のためにあるべきものだろう。

義務を果たすうえでは、さまざまな困難や障害が発生するだろう。だが、人間関係の悩みで、義務を果たせないようになってしまっては、本末転倒だ。
問題を、シンプルにしようではないか。
人間はしばしば、さまざまな問題を一括りにしてしまい、事態を一層、こんがらがらせてしまうことがある。
複雑にからまった事態を解くには、これらの問題に序列をつけ、根本的な問題は何かを探ることだ。まあ、哲学ができることは、この辺りのことだろう。

だから、仕事上の人間関係の問題は、「義務」という点から考えてみればいい。言動一つをとっても、義務として「すべきこと」を言っている。それだけだ。

上司の態度に腹が立つこともあるだろう。部下の態度に、イライラすることもあるだろう。しかしそれは、仕事上での義務的な言動かもしれない。例えそうでなかったとしても、「すべきことを果たす」に支障がなければ放っておこうじゃないか。こちらも、義務的な対応をすればいいのだ。

私は、職場での人間関係がすべて義務で、友愛も生まれなければ恋も生まれることはない、と言っているのではない。ここを誤解しないでほしい。
ただ、今の職場で人間関係が辛いと感じているなら、その関係性を「仕事を果たすための義務」と割り切ってしまえば、悩みも軽くなるのではないだろうか。(アラン)





職場の人の「人となり」や「性格」で悩むことはない
そんな違いがうまくはまり合って、一つのチームになるのだ


3_phi_001_03.png職場で一緒に働く上司や部下、同僚などは、一つの目的に向かって進む仲間だ。そして、わたしに言わせれば、そんな仲間の性格なんてどうでもいい。

もし、性格を最も重視して気心が知られた友達ばかりで会社をつくったら、どのような仕事ができるか想像してみよう。おそらく、目的に到達することは二の次になってしまうだろうか。
なぜなら、仕事における人間関係は、「役割の関係」だからだ。わたしはこんな寓話をつくっている。

ライオンの王が戦争の布告を出した。
ライオン王のもとへは、あらゆる獣たちが駆けつけた。
象は武具を運ぶ役。クマは敵陣襲撃の役。キツネは軍略をめぐらし、猿は軽業で敵を翻弄する。
「ロバはどうする?」「ロバなんて帰せ!」と声が上がった。「ものぐさでのろまだ!」
さらに声が上がった。「うさぎも帰せ!」「驚いてばかりで役に立たん!」
「いや、そうではない」とライオン王。
「誰にも役割がある。ロバはラッパが吹ける。うさぎは伝令に適役だろう」

臆病、意地悪、少々傲慢、ものぐさなど、人間の性格とは、大なり小なり癖があるものだ。それが特徴にもなっている。そして、それが役割にもつながっているのだ。

誰の「人となり」にも「性格」にも、欠けているところはある。しかし、そんな欠けたところがうまくはまり合って、一つのチームになるのだ。
むしろ、役割というものは、一人の人間に、凸と凹があるから生まれると考えようじゃないか。だから、職場の人の「人となり」や「性格」で悩むことはない。あなたはあなたの役割を全うすればいいんだ。(ラ・フォンテーヌ)





人間関係の土台は良心だ


3_phi_001_01.png知っているだろうか? フランスには宗教戦争と言われる暗黒の時代があったことを。わたしが生きていたのは、まさにこの時代だ。

そんな内戦の最中、一つの馬車に敵味方が乗り合わせてしまったことがあった。その中の一人の表情に明らかな動揺があったのを、わたしは見逃さなかった。彼は、味方のふりをして敵に内通していたのだ。

「人間関係」の土台は良心なのだ。良心が基礎となって、さまざまな人間関係が築かれていく。敬意も、友好も、忠節も、信頼も、すべて良心があってこそ。
これらは良心のプラスの作用だが、良心を一番感じるのは、他人を傷つけてしまった時だろう。そして、他者を害した時に、より大きな害として自分に返ってくるのが良心の呵責だ。それは刑罰による呵責より激しいものだ。

あなたが心身の健康を損なうほどの害悪を職場で受けているのなら、まずは、職場に行くことを一旦やめよう。そのようなストレスを負いながら我慢することは、あなた自身を裏切ることになる。
次に、第三者を交えながら(同じ職場の人間でない方が望ましい)、相手と話をする場をつくるのだ。そして、「なぜ、そのようなことをするのですか?」と、相手から視線を外さずに聞いてみよう。

これは人間の良心に訴える最善の方法だ。相手がどのような態度をとるか、わたしにもわからない。だが、一つだけ確かなことは、相手の良心は、しっかりと相手を責めているということだ。
あとは、その良心によって相手が変化することを期待する。それでも変われなかったら?それはもう、法律に頼るしかないだろう。だが良心なるものは、それほど生易しいものではないのだ。

最後に、あなたが逆の立場にならないように、つまり、あなたがあなたの良心に呵責されることがないように、わたしは祈っている。(モンテーニュ)




大竹 稽 (Ootake Kei)

教育者、哲学者。1970年愛知県生まれ 旭丘高校から東京大学理科三類に入学。五年後、医学と決別。大手予備校に勤務しながら子供たちと哲学対話を始める。三十代後半で、再度、東京大学大学院に入学し、フランス思想を研究した。専門は、カミュ、サルトル、バタイユら実存の思想家、バルトやデリダらの構造主義者、そしてモンテーニュやパスカルらのモラリスト。編著書『60分でわかるカミュのペスト』『超訳モンテーニュ』『賢者の智慧の書』など多数。東京都港区や浅草で作文教室や哲学教室を開いている。
大竹稽HP https://kei-ohtake.com/
思考塾HP https://shikoujuku.jp/

イラスト/ちぎらはるな