ビジネスに役立つ哲学

2021.10.01

定年について

ビジネスに役立つ哲学9:老いてなお働くこと

「あなたの会社に定年はありますか? 」と聞けば多くの人は「はい」と言うだろう。労働人口の減少、高齢化、平均寿命の伸びを考えれば、もはや定年は時代に即していないと言われるが、定年のある企業はまだまだ多い。また、制度の問題だけでなく、いつまで働きたいか、働かなくてはならないか、といった個人的な想いや事情もある。「老いてなお働くこと」をどう考えればいいのだろう。

「定年」について、フランスの3人の哲学者の「考え方」を紹介しよう。もし、彼らが「定年」「老いてなお働くこと」について迷い、悩んでいる、現代に生きる私たちにメッセージを送るとしたら、きっとこんな言葉をかけてくれるはずだ。
※「ビジネスに役立つ哲学」の連載では、作家でありモラリストでもある大竹稽氏が、フランスの哲学者になりきって、現代の迷い、悩めるワーカーにメッセージを送ります。


定年があろうがなかろうが、 あなたができることをすればいい


3_phi_001_01.png 自然は、優しい案内者だ。つまり、誰の肉体も衰えさせる。ここに不公平はない。だからわたしは常々言っている。若者にはどんどん現場を体験させよう。そして、若者たちに、どんどん席を譲っていこう。どれほど豊かな体験をしてきた人間でも、五十も過ぎれば、活力や敏捷さ、たくましさでは、若者たちにはかなわないのだ。

さて、そんなわたしだが、「定年に賛成か? 」と聞かれると、むしろ懐疑的だ。定年という制度に、働くことを辞めさせる強制力などないからだ。

体力は確かに衰える。では精神はどうだろうか? 知識や経験によって裏打ちされた精神は、若者たちより優っているだろう。しかしその一方で、肉体の衰えとともに、精神も弱化してしまうこともある。病気による精神の弱化がその一つだ。

だが、病気もまた、体験の一つであり、病気という体験を通して精神が鍛えられ強くなっていくこともある。適度な病気は、体力を衰えさせるが、精神の鍛練につながることもある。

そして、精神の鍛練は、自分を知ることにつながる。自分を知るということは、自分の可能性を知ること以上に、自分の限界を知ることだ。

精神を鍛練し、自分の限界を知った者は、とにかく高みを目指そうとか、がむしゃらに前進しようとかいう無節操からは抜け出しているだろう。精神を鍛錬した者たちの選択は、精神だけでなく、身体にもやさしいものであることをわたしは知っている。

「仕事=稼ぎ」という拘束から抜け出せているのも、精神が程よく練られた者だからこそできるわざだ。だから、定年があろうがなかろうが、同じようにあなたができることをすればいいのだ。(モンテーニュ)





仕事のスタイルは 体力や経験に合わせて変えていく


3_phi_001_05.png 「定年! 」この問題は、お国柄を表すね。フランスでは、定年としての制度があるわけではないのは、ご存知だろうか? 日本と違いフランスでは、サラリーマンとして六十半ばを迎えるのは、例外中の例外なのだ。フランスの労働者は、年金が満額支給される年になると、「自ら望んで」退職する。

「そんな彼らは、退職後の生活をどのように計画しているのですか? 」「みんな仕事はしないのですか? 」なんて、質問を受けそうだな。

このあたり、日本人とフランス人の仕事観は随分違う。仕事を通してキャリアを積む日本と違いフランスでは、教育水準と職業資格が、キャリアなるものをほぼ決定してしまうので、いわゆるブルーカラーと呼ばれる肉体労働者の多くは、体力の衰えとともに仕事が辛くなることも多いのだ。

そのため、「体力も落ちてしまった老年で、辛い仕事に時間を費やすこともないよな」、という気持ちになり、自ら望んで退職しているのだろう。

もう一つ、フランスの年金制度が充実していることも、この決断を後押ししている。簡潔にいうと、退職しても、所得はほとんど変わらない。だから、フランスの退職者たちは、ふたたび働こうなんて思わない。年金生活に、不安もない。老いても趣味やバカンスや家族や、いろいろ「やること」がたくさんある。

さて、そんな制度面のお話はこれくらいにしておいて......、「定年」。これは誰が決めたものかな? 仕事を辞める年を誰かに決めてもらう、そんな他人任せの考えをまず排除してしまおう。また、仕事を辞めても収入(年金)があるから働かない、なんて消極的な理由もあまり聞きたくない。

わたしも高校教師は退職したが、執筆活動は続けた。つまり、自分の仕事のスタイルを体力や経験に合わせて変えていっただけ。お金に不自由しないから教師を辞める、という消極的な理由ではない。

そんなわたしの人生を、参考にすることもできるだろう。しかし、ただ真似るのは間抜けのすることだ。「定年」について深く悩むあなただからこそ、必ずや、あなたにふさわしい仕事のスタイル、老年期の過ごし方を見つけられるはず。

あなたの残りの人生は何年だろうか? 聞いていてなんだが、そんな計算をすることがばかばかしくなるほど、あなたの人生を充実させていってほしい。(アラン)





定年という制度に抗わず しなやかに受け止める


3_phi_001_03.png 「定年」という制度があるのですね。その年になると仕事を辞めなければならず、あなたに選択の余地はない、ということですね。それは不安にさせますね。

パトロンに恵まれて詩人なんて仕事をしていたわたしから、定年に悩むあなたに助言するとしたら、こう言うでしょう。「しなやかに受け止めるよう」と。

定年という会社の制度に賛成するも反対するも、あまり頑固にならない方が良いでしょう。頑固になると、不安も一層増大します。

「定年」以外にも、考えさせられるさまざまな問題があるはずです。あなたの健康、体力、知力、そして趣味や収入、家族のことなど。しかもそれらが、なかなか複雑に絡み合って影響し合っている。
だから、これらの問題を一つひとつ、解決しようなんて勇猛心、わたしにはありません。

わたしがあなたなら、こんな状況に抗わないようにします。抗えば抗うほど問題はもっと複雑に絡みついてくるでしょう。縄をイメージしてみましょう。縛りつけている縄って、ジタバタするほどもっと絡んできませんか?

「抗わずに付き合う」、そんなメッセージを伝えたくて、『樫と葦』なんて寓話を書きました。暴風に抗う樫は倒れ、暴風をゆらゆらと受け流す葦は残ります。いい加減な姿勢は困りますが、頑固なのも困りますよね。

「制度」というものの成立には、それなりの理由があるのでしょう。そこを問いただそうと頑張らず、それらと気楽に付き合う遊び心があればと思います。
定年前だって、定年後だって、あなたが人生の主役であることには変わりないのですから。(ラ・フォンテーヌ)




大竹 稽 (Ootake Kei)

教育者、哲学者。1970年愛知県生まれ 旭丘高校から東京大学理科三類に入学。五年後、医学と決別。大手予備校に勤務しながら子供たちと哲学対話を始める。三十代後半で、再度、東京大学大学院に入学し、フランス思想を研究した。専門は、カミュ、サルトル、バタイユら実存の思想家、バルトやデリダらの構造主義者、そしてモンテーニュやパスカルらのモラリスト。編著書『60分でわかるカミュのペスト』『超訳モンテーニュ』『賢者の智慧の書』など多数。東京都港区や浅草で作文教室や哲学教室を開いている。
大竹稽HP https://kei-ohtake.com/
思考塾HP https://shikoujuku.jp/

イラスト/ちぎらはるな