ブックレビュー

2022.12.14

やりたいことの原点を思い出す、エッセイ『巴里の空の下オムレツのにおいは流れる』

働く人の心に響く本:やりたいことをやる大切さを思い出させてくれる一冊

自分はなにがやりたいのか、大人になってもやりたいことに悩む人は多い。本当にやりたいことを自分自身に問い続け、人生の分岐点で「料理」という新たな一歩を踏み出した福武美津子氏。今は人生の後半にさしかかった70代、瀬戸内海の島でさらなるチャレンジをスタートさせた彼女の原点となる一冊が『巴里の空の下オムレツのにおいは流れる』。

島根県にある人口2,200人の離島・海士町(あまちょう)で生まれた出版社「海士の風」は、顔の見える関係性を大切に丁寧な本づくりをしています。連載「働く人の心に響く本」では、海士町と共感で繋がり、様々な分野で活躍する"人生の先輩"が選んだ一冊を「海士の風」の出版プロデューサーが紹介します。

星つきレストランのオーナーが
改めて手にとった本

巴里の空の下オムレツのにおいは流れる 石井好子著 暮しの手帖社.jpg

今回の一冊を紹介いただいたのは、ベネッセホールディングスの前身となる福武書店の創業者福武哲彦氏(1915年-1986年)を父にもつ福武美津子(ふくたけ・みつこ)さん。岡山県にあるミシュラン一つ星を獲得したレストランのオーナーでもある福武さんは、2022年の秋から瀬戸内海の豊島で新たな試みを始めている。

そんな福武さんが改めて手にとった「やりたいことをやる大切さを思い出させてくれる一冊」が『巴里の空の下オムレツのにおいは流れる』。本書はシャンソン歌手の石井好子がフランスに住んでいた頃の、食べ物や暮らしについて書かれたエッセイ。1963年に初版が発売され、現在でもヨーロッパの当時の暮らしが垣間見える人気の書籍だ。

『巴里の空の下オムレツのにおいは流れる』(著者:石井好子 暮しの手帖社)




ベネッセホールディングスの
基礎をつくった父の教え

福武さんの父親は昔から人に勇気や希望を与えるような人だったといいます。 「子供の頃から父に言われ続け、心に残っている言葉が『人生は素晴らしいものだから、好きなことをめいいっぱいやったらいい』ということ。そしてもうひとつが『考えて、考えて、考えろ。考えすぎて死ぬことはない。悩んで死ぬことはあるけど、考えすぎて死ぬことはないから考えろ』という言葉でした」

「好きなことをめいいっぱいやったらいい」という父親の言葉を自分自身に問い続けた福武さん。子育てがひと段落したタイミングで、その言葉にあらためて真剣に向き合い、「料理をつくって人をもてなすことが自分にとって大切で、やりたいことだと気づいた」と言います。料理本が少なかった当時、手始めに読んでみたのが『巴里の空の下オムレツのにおいは流れる』でした。




思い切り人生を楽しむために
一歩を踏み出す

著者である石井好子は20代の頃に海外に渡り、フランスでシャンソン歌手としてデビューしています。本書には著者の心に残ったヨーロッパの暮らしや食にまつわるエピソードがイキイキと描かれ、肩に力が入っていない文体は心地よく、やりたいことを思い切り楽しんでいる著者の暮らしぶりに、大いに刺激を受けた福武さん。

「(40代前半当時)寿命を考えると、残り40年を、本当に楽しく笑顔で過ごしたいと思いました。そして石井さんの本に描かれているような素敵な空間で、温かい手料理をつくって人をもてなしたいと強く思い、周囲の反対を押し切って1999年に岡山にある自宅を改装してレストランをつくりました」と、専業主婦から一転、自由闊達な女性へと変身していったのです。




やりたいことをやる中で
見えた課題

レストランのオーナーとなった福武さんは毎日がキラキラしていたと言います。
「毎日知らないことだらけで学びがたくさんあり、すごく楽しかったです」。その一方で、新たな課題もみえてきた。

「自宅とお店が一緒で、着替える場所に自宅の一室を貸していたこともあって、スタッフの人たちは朝の8時半からゴソゴソし始め、夜遅くまでずっと働いている。年月がたつにつれ、飲食店で働く人の待遇が社会的に低いと感じるようになりました。海外のレストラン、とくにヨーロッパの飲食店で働く人はリスペクトされていますが、日本では、働く人の立場が弱くリスペクトされていない。労働環境も過酷で、一日中立ち仕事な上に、効き手を酷使するあまり体のバランスを壊す人、50代半ばで身体を壊す人も多い。最終的に自分のお店をもてればいいですが、異業種への再就職に飲食店の経験は活かしにくく、キャリア継続が難しいのが現実です。こんな社会でいいのかと思うようになりました」

福武さんは、人生の後半を迎える歳になって、この課題にチャレンジすることを決めます。




瀬戸内海で始めた新たな挑戦

飲食店のオーナーとして「温かい料理をつくって人をもてなす」という夢を叶えた福武さん。こうした人生を送る中で見えた課題。福武さんは、その課題に取り組む過程で40年ぶりに本書を読み返し、再確認したことがあったそうです。
「本の中にはオムレツのレシピが書いてあって、読むたびにオムレツをつくります。フライパンにバターを入れ、ジュワーーと溶け出す、そこに卵を流し込む。この時間が本当に至福で、なにものにも代えがたい愛しい時間だということを改めて感じました」
本書が改めて教えてくれたことは、だれかのために料理をつくってもてなすことが原点であると同時に、料理と向き合う時間が自分の心を満たしてくれるものだということでした。

料理をつくる人にもそんな原点を振り返ってもらえる場所をつくろうと考え、福武さんが代表を務める「一般社団法人食で未来をつくるアカデミー」の拠点を瀬戸内海の豊島につくりました。2022年秋オープンの「豊島エスポワールパーク」について福武さんはこう語る「料理人たちが集い、語り、自分と向き合うことができる場所。静寂の夜を越えた朝、厨房から見渡す海の向こうには希望あふれる未来が感じられる」

「都会で料理をする人の中には、ビルの中で一日を過ごし、太陽を見ない日もあります。豊島という場所は、手つかずの自然が残る貴重な島。海を眺めてぼーっとしながらも『なぜ料理をつくるのか』『本当にやりたいことはなにか』と普段考えないことが考えられる場所。自問自答するのに、ここは本当に良い場所」と、自分と向き合う時間をもつことの大切さを伝えます。

これから先、福武さんは、やりたいことを続けてこられた感謝とともに、ここ「豊島エスポワールパーク」を訪れた人たちの背中を支えていくことでしょう。



福武美津子(Fukutake Mitsuko)

ベネッセホールディングスを築いた福武哲彦を父親にもつ。直島をアートの島に変えた福武財団の評議員であり、3つのレストランを運営する株式会社イルグラーノ代表取締役。 飲食店を経営する傍ら、「食を支える人」が、もっと社会から評価され、敬意と尊敬の念をもって、次世代が憧れる仕事にするために2020年に一般社団法人食で未来を創るアカデミーを設立し代表理事を務める。2022年秋に拠点となる「豊島エスポワールパーク」をオープン。

萩原 亜沙美(Hagiwara Asami)

海士の風 出版プロデューサー。大学卒業後、京都にまちづくり系NPOを共同で立ち上げ、2010年に海士町へ移住。海士町のスローガン「ないものはない」を念頭に、島にないものを仲間とつくりだす。生きる力と幸福度が高い。

海士の風(あまのかぜ)

辺境の地にありながら、社会課題の先進地として挑戦を続ける島根県隠岐諸島の一つ・海士町(あまちょう)。そんな町に拠点を置く「海士の風」。2019年から「離島から生まれた出版社」として事業を開始。小さな出版社なので、一年間で生み出すのは3タイトル。心から共感し、応援したい著者と「一生の思い出になるぐらいの挑戦」をしていく。

作成/MANA-Biz編集部