仕事のプロ

2022.06.28

電通が考えるダイバーシティ&インクルージョンとは?〈前編〉

企業が生き抜くための「インクルーシブ・マーケティング」

株式会社電通の組織横断型タスクフォース「電通ダイバーシティ・ラボ」では、2011年の立ち上げ以来、ダイバーシティ&インクルージョンをテーマにさまざまな研究やソリューション提供を行なってきた。同ラボが推進・実践するマーケティング概念が、「インクルーシブ・マーケティング」だ。インクルーシブ・マーケティングとはどのようなものなのか、電通ダイバーシティ・ラボ代表でインクルーシブ・マーケティングプロデューサーを務める林孝裕さんに聞いた。

マス戦略でもOne to One戦略でも、
取りこぼしてしまう潜在的顧客がいる

「これまでマス戦略をとってきた自分たちへのアンチテーゼでもある」と林さんが言うのが、電通ダイバーシティ・ラボが提唱・推進する「インクルーシブ・マーケティング」だ。ダイバーシティ&インクルージョンは企業にとって重要な戦略課題である...という認識は国内でも広がってきたものの、マーケティングにおいてなぜ価値がありどのように進めればよいのかの理解は進んでいるとは言えない。林さんはこう続ける。

「これまでマーケティングの領域では、世の中のトレンドや全体傾向を見る、大衆に目を向ける、マス的なものの見方・考え方が主流でした。しかし、高齢化や人口減少が進んで全体としてマーケットが縮小する一方、障害の有無や国籍、性のあり方などはより多様になる...という状況、つまり、小さなボリュームのなかに多様性があるという状況が今後さらに進むことを考えると、これまでのマスに焦点を当てる手法は通用しなくなる。そんな危機感から私たちが提唱してきたのが、インクルーシブ・マーケティングです」

インクルーシブ・マーケティングの定義はこうだ。"多様性を価値として積極的に捉えていくことで、あらゆる企業活動において新たな課題とチャンスを発見し、持続的な成長モデルを再構築していくマーケティング概念"。どういうことなのだろうか。

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「デジタルの普及により、特定の条件に合う顧客をいわば一本釣りするOne to Oneマーケティングが広がっています。これは一人ひとりに最適なコミュニケーションを取っていくという点で多様性に対しても非常にポジティブですが、これにも弊害があります。
One to Oneによって、企業にとって都合の良い顧客とだけコミュニケーションをとる、つまり、それ以外の人々を排除するという手法になる可能性もあるわけです。
もしそのように使われるのであればインクルーシブの真逆のエクスクルーシブなコミュニケーションとなってしまうわけです。ピンポイントで必要な人に必要な情報を届けられる効率の良い手法のように見えますが、そして実際にそうなのですが、それゆえ企業が気づいていない潜在的な顧客まで排除してしまっている可能性もあります。
市場がシュリンクするなか短期的な利益を追求して効率性のみを求めてこの手法を続けていると、企業のビジネスもサステナブルではなくなってしまいます。これからは、インクルーシブな視点で多様な人々を巻き込んでビジネスをしていかないと、社会も企業も成り立たなくなってしまうのです」

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インクルーシブ・マーケティングの
3つのステップ

自分たちにとって都合の良い顧客、一定の条件に合う顧客だけをターゲットにするのではなく、インクルーシブな視点で多様な人々を対象にしたマーケティングを行うためには、どのようなことが求められるのだろうか。林さんは、次の3つのステップを挙げる。

1. 社会の見方を変える
2. 自分たちの価値を捉え直す
3. 社会との関係性を変える


1.社会の見方を変える

2_bus_122_3.jpg 「『顧客は大きく4つに分かれます』なんて言うといかにもマーケティングっぽいですが、実際は4つになんて分けられません。ざっくり分けて個体差には目を向けない、個別対応はしない...というマス的なスタンスでは、そこから漏れる人を切り捨てていく考え方になってしまいますし、エンドユーザーへのサービスが最適化されません。そうではなくて、『社会は無数の個の集積である』という前提で物事を見ていく必要があります。



2.自分たちの価値を捉え直す

2_bus_122_4.jpg 「企業の『自分たちはこうである』という前提に基づき、顧客のニーズに対応していくのがマーケティングです。でも、自分たちの価値は自分たちで定義し切れるものでしょうか。クライアントに対して、自社の想定とは異なる企業価値を発掘して提案させて頂くのも私たち電通の仕事であり、私たち自身も外の人から指摘されて初めて自分たちの可能性に気づくこともあります。自分たちの価値を、社会から、既存のカスタマー以外のステークホルダーから、定義し直してもらう。それにより、自分たちの価値を捉え直す。インクルーシブ・マーケティングを行ううえで、これはとても大切なことです」

既存の顧客以外のステークホルダーの視点から新たな価値を発見した事例として、林さんが挙げたのが、大手衣料メーカーA社の女性向け下着のエピソードだ。

「A社では、胸が大きくて悩んでいる女性に向けて、胸が小さく見えるブラジャーを開発し、WEBで販売しました。すると、トランスジェンダーの方々に売れたのだそうです。これはA社としても想定外のことでした。WEBで販売したのも、反響が大きかった理由の一つだと思います。WEBで購入できれば、女性用下着の売り場に行く必要がありませんから。おそらくA社としても、そんなニーズがあったんだと発見があり、そうなると、見た目もスポーティーな感じのものがいいだろうかとか、男女関係なく買えるようにしようとか、いろいろとアイディアが出てくると思います。企業側が想定している自社のドメインと顧客が全てだと思っていると、ビジネス自体の可能性を制限してしまいます。自分たちがもち得る多様な価値を多様な人々に見つけ出してもらうことが大事なんです」



3.社会との関係性を変える

2_bus_122_5.jpg 「インクルーシブ・マーケティングにおいては、社会側から価値を見出してもらい、企業はそれに応えていく...という相互のやりとりが大事です。つまり、企業から社会に向けて提供するという一方向ではなく、双方向の関係性を構築することが求められます。繰り返しになりますが、自分たちにとって都合の良い顧客にものやサービスを売って成長するというモデルだけでは、いずれ立ち行かなくなります。企業が多様な社会と双方向的な関係性を作り、一緒になってマーケット全体を育てていくことが、サステナブルな社会にもビジネスにも不可欠なのです」




インクルーシブ・マーケティングで、
変わることをポジティブに楽しめる社会を

また、インクルーシブ・マーケティングの「マーケティング」とは、市場調査や広告宣伝といった狭義の領域だけを指すのではなく、「市場に対する企業活動全般を指す」と林さんは言う。

「企業として理念やビジョンを描く、組織や制度、環境を築く、事業や製品企画を創る、製品やサービスを作る、コミュニケーションで送る、販売や顧客接点で売るといったこともすべてマーケティングに含みます。また、社会においてユーザーとの間でつながる・学ぶ、イシュー化して拡がる・動くといったものまで視野に入れた概念と捉えていただきたいと思います」

では、インクルーシブ・マーケティングが広がった先には、どのような未来をつくり出すことができるのだろうか。「変わることをポジティブに楽しめる社会をつくることができるだろう」と林さんは言う。

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「これから日本は、超高齢化社会を突き進みます。100年生きるということは、言い換えると、100年生き続けなければならないという事なのかもしれません。歩けなくなっても聞こえなくなっても機能として失うものが多くなっても生きていく自分...を想像すると、長寿に対して恐怖を感じる人もいるのではないでしょうか。
一方、多様なものやサービスが生まれ、歩けなくなっても〇〇ができる、聞こえなくなっても〇〇ができる...という選択が可能になれば、変わっていくことをポジティブに変換していけるんじゃないかと思うんです。
諦めるしかなかったのが、多様な価値が提供されることで、人生を楽しめるようになる。人生100年時代をみんなが幸せに生きるためにも、インクルーシブ・マーケティングの考え方は大きな可能性のあるものだと考えています。

従来のマーケティングのプロセスを急にガラッと変えるのは難しいですが、スタートアップやベンチャーのなかには実際にインクルーシブ・マーケティングを実践するところが出てきており、若い人たちの熱量を感じています。ダイバーシティ、インクルーシブといった視点で、顧客と一緒に新しい価値を創出する、社会課題からビジネスを生み出す、という流れが生まれてきています。
また、テクノロジーの進展により個別最適化を図ることも可能になってきています。既存の前提は度外視して、ないものは新しくつくればいいし、今あるものもそれが完成形とは思わず更新し続けていけばいい。その積み重ねで社会は変わるはずです」

後編では、電通本社ビルに設けられた「ダイバーシティ対応フロア」を中心に、電通グループのダイバーシティ&インクルージョンの取り組みを紹介する。





林 孝裕(Hayashi Takahiro)

株式会社電通 電通ダイバーシティ・ラボ代表、インクルーシブ・マーケティングプロデューサー、DJNサステナビリティ推進オフィスディレクター、電通Team SDGs SDGsコンサルタント、一級建築士 コミュニケーション戦略、事業戦略、商品開発、ビジネス開発など戦略領域全般に従事。2011年に電通ダイバーシティ・ラボ参画し、戦略ディレクター、WEBマガジンcococolor発行人兼事業部門統括を務め、同ラボの戦略統括を担いながら多数のプロジェクトをプロデュース。2017年より「インクルーシブ・マーケティング」を提唱し、新しい戦略論として普及促進活動を行う。大学・各種団体での講演、執筆、コンサルティングなど実績多数。

文/笹原風花 撮影/ヤマグチイッキ