ライフのコツ

2020.02.13

アメリカのアーツ・インテグレーション教育

世界の学び/カリフォルニアの新教育プログラム

世界の教育情報第29回目はアメリカから。今回から二回に渡って、アメリカにおける社会課題に取り組むための教育政策を取り上げます。まず、前編で紹介するのは、ここ数年、カリフォルニア州を中心に広まっている教育プログラム『アーツ・インテグレーション= Arts Integration (Learning Through Arts)』。これは、 音楽、美術、ダンス、演劇などの芸術科目を通して、算数、国語、理科、社会を学ぶというプログラム。近年話題のSTEAM教育では芸術科目と理系科目を総合的に学ぶのに対し、文系科目も含まれるのがアーツ・インテグレーション教育の大きな特徴です。なぜ今、アーツ・インテグレーションが注目を集めているのか、社会的背景とカリフォルニア州での取り組みに触れながら紹介します。

アメリカが抱える
深刻な学力格差
アメリカでは、地域や学区による学力の格差が深刻な社会問題となっていますが、この問題を解決すべくブッシュ政権時代の2002年に施行されたのが『NO CHILD LEFT BEHIND(NCLB)政策』、直訳すると「こどもたちを一人も取り残さない=落ちこぼれを出さない」です。NCLBにより、それまで教師が教科書に縛られず自由に行ってきた授業を統一した学習指導要領で進めることに。芸術や体育の授業時間を削減、全国学力テストを実施し学力向上に力をいれるだけでなく、成績が芳しくない生徒が多い学校には政府から罰則が課せらせるという強硬な政策でした。
しかし、この強硬策が裏目となり学力格差はさらに広がります。貧困家庭が多い地域では、こどもたちの学力も低いため授業についていけないこどもは留年、果ては学級崩壊が起こり学校全体の生徒数が減少。その結果、政府からの予算も削られました。予算が減れば設備投資もできず校舎も廊下も老朽化しトイレも壊れたまま。政府が目指した教育政策によって、富裕な地域の環境がさらによくなった一方で、貧しい地域は悪化の一途をたどることとなり、学力格差はさらに深刻化しました。
多民族、多宗教による学力格差と
教育政策の失敗
この問題の背景にはアメリカ特有の多民族国家・多宗教があります。人種のるつぼと言われるアメリカは、キリスト教、ユダヤ教、イスラム教など複数の宗教が混在しています。また、自己主張の強い国民性もあり価値観や考え方の違いからさまざまな差別も生まれやすく、結果、社会的弱者といわれる難民や不法滞在による移民、ホームレス、貧困層などにしわ寄せがいきます。ここに教育や学力格差問題も深く関係しており、多面的な視点から解決の必要性がありました。
こうしたアメリカ社会特有の問題を背景としたNCLB政策でしたが、さらなる学力の格差と低迷をまねく結果となります。そんななか改善策を模索していた教師たちから「教育予算カットによる体育・芸術科目削減が原因のひとつではないか」という声があがり、教育政策を見直す動きが高まりました。
コモンコア(CCSS)導入による
アメリカの教育現場の取り組み
そこでまず、2011年に政府によって『コモンコア・ステート・スタンダード(CCSS=Common Core State Standard)』が導入されます。数学と英語の二教科を対象に、州によってばらつきのあった学習指導要領をアメリカ全体で小中高の12年間共通のものとして定めたのです。アメリカは地方分権のため導入は州ごとに任意ですが、CCSS最大の狙いはアメリカの弱点である数学の学力向上でした。
さらに今、カリフォルニア州を中心に広がりをみせているのが、CCSSを発展させた形で芸術科目を強化した『アーツ・インテグレーション教育』です。1999年ワシントンDCでケネディ・センターとメトロポリタン・ラーニングという機関の共同プログラムとして始動し、2012年には小中高のカリキュラムとして提唱されました。
「インテグレーション=統合」が示す通り、アーツ・インテグレーション教育ではさまざまな科目をミックスして授業を組み立てます。音楽、美術、ダンス、演劇の授業の中に、数や形、物語といった数学や国語の要素を取り入れた複合的な教育アプローチ方法です。
たとえば、芸術は自己表現のツールであるという概念から、サンディエゴの小学校では"体で表現する言語"としてのダンスを指導しています。文字が誕生する以前から人はダンスや歌、音楽を通してコミュニケーションを図ってきたことからも、表現力は言葉を学ぶうえで必要不可欠だという考えに基づいています。表現力の向上=国語力の向上につながるという考え方です。
アメリカでは一般的に、芸術は専任教師が教えますが、アーツ・インテグレーションでは、科目の垣根を超え複数の教師が合同で芸術を取り入れた授業を行います。年長クラス(注1)では、『はらぺこあおむし』を題材に、物語を想像して絵を描き、読み書きと一緒にダンスに取り組み、最後にはミュージカル形式で発表します。年長や低学年では、言葉を発するのが苦手な子も少なくないため、こうした授業で発表する自信をつけていくのです。また、ただ物語を聞くだけの授業と違って自ら参加することで物語の内容もしっかりと覚えることができます。高学年になると歴史や社会問題をトピックにし、楽器を奏でたりダンスを創作したり寸劇を演じたりします。授業ではこどもたち同士のディスカッションの時間も多く設け、成果だけでなくプロセスも大切しています。
このように、頭と心と身体を同時に使うことで、語彙力を増やしたり理解を深めるだけでなく自ら考える力も伸ばしていくのがアーツ・インテグレーション教育の特徴です。
全米の中学生25,000人以上を10年間追跡した国内教育調査によって、アーツ・インテグレーション教育を受けている生徒とそうでない生徒の成績を比較したところ、大学進学テスト(SAT)による数学と国語の点数に明らかな差が見られました。また、アメリカの国内芸術教育協会(NAEA)の発表の中でも、アーツ・インテグレーション教育のアプローチには、感情表現を豊かにする効果があり、芸術と主要科目の間に共通点を導き引き出す能力を強化すると結論づけています。
このほかに、今アメリカでも『21世紀型スキル』が注目を集めています。『21世紀型スキル』は、「創造性」「協調性」「問題解決能力」「コミュニケーション能力」の4つから構成されていますが、この4つのスキルはアーツ・インテグレーション教育においても重要なスキルとなっています。
過去の教育政策の失敗を踏まえ、全米における総合的な学力向上を目指す一つのアプローチとして芸術教育をはじめとする表現力や創造力、あるいは人と人との関係性を豊かにするコミュニケーション力を重視する潮流が生まれつつあるのです。
注1:州によって異なるが、アメリカでは年長クラスが小学校内に併設されていることが多い。

ハモンド綾子

グローバルママ研究所リサーチャー。日本でメディア会社勤務後、1999年渡英。ファッション/ホテル業界勤務を経て、2006年よりライター/リサーチャー/翻訳者として活動中。イギリス人の夫、バイリンガルの息子2人と4人暮らし。


グローバルママ研究所

世界33か国在住の170名以上の女性リサーチャー・ライターのネットワーク(2017年4月時点)。企業の海外におけるマーケティング活動(市場調査やプロモーション)をサポートしている。