仕事のプロ

2019.07.24

「不便益」の考え方で拡がる創造力

あえて不便を追求することで得られるものがある

AIが人間の仕事を代替するようになったり、IoT家電が普及したりと、便利なモノ・コトを追求する動きが加速している。しかし京都大学情報研究科(昨年までデザイン学ユニット)の川上浩司特定教授は、「不便だからこそ得られるものもある」と指摘し、「不便益(不便の益)」という考え方を提唱する。不便益システム研究所を設立し、不便の効能を追求する川上教授に、不便益の概念やメリット、「不便であること」から拡がるこどもの可能性についてお聞きした。

不便益とは
「不便であることによって得られる益」
「不便益」とは、川上教授が大学時代に所属していた研究室の片井修教授による造語だ。文字通り「不便の益(不便から得られる益)」という意味で、片井教授は20年ほど前から「これからは不便益やで」とあちこちで考えを披露し始めたという。

「先生はそもそも人工知能の研究室を主宰しており、言ってみれば『モノを自動化することによって便利にすること』を追求してきた人です。私自身も、機械工学を学んだうえで人工知能の研究を目指してきたので、いきなり不便益と言われても、ピンとこなかったですね」
あえて不便な手法を使うことによって
得られるメリットに注目
しかし、不便益の事例をみていくうちに、川上教授の考え方は変わっていった。転換点となったのは、セル生産方式という工業製品(例えば自動車)の組み立て手法についてのリサーチ結果を知ったことだったという。

セル生産方式では、作業員が1台の自動車を1人で組み立てる。それぞれのスタッフが同じ工程を繰り返し、流れ作業で組み立てていくのとは対極にある方法だ。経営的な視点からセル生産方式をとらえて、「多品種少量生産に対応しやすい」というメリットを挙げる企業は多い。しかし、実際に組み立て作業を行っているメンバーにヒアリングすると、「1人で自動車を組み立てるのはやりがいがある」「やりがいがあるからスキルも上がる」という声が聞かれたのだ。

「1人で1台を組み立てるのは、時間の面から見れば非効率といえるかもしれません。ですが、多くの作業スタッフはモチベーション向上やスキルアップというメリットを実感しています。効率性を追求するイメージが強い工業生産という分野で、不便益の実例があることに面白さを感じました」
不便益なモノ・コトをあえてつくり出す
動きも出てきている
そこで川上教授は、世の中の「不便益」なモノやコトを探し始めた。すると、意外に多くの事例が見つかった。例えば全国の幼稚園や保育園の中には、あえて園庭を平地ではなくデコボコにつくっているところがある。

「平地だと大人がこどもを管理しやすいし、園児が転んでケガをするリスクが減ります。しかしあえてデコボコにすることによって、こどもが遊び方を工夫するようになります。実際にデコボコな園庭がある幼稚園のサイトを覗くと、写真に映っているこどもたちの顔がとても生き生きしています」

また、高齢者施設はバリアフリー設計が基本だが、あえて段差や階段を設ける「バリアアリー」の施設も出てきている。この事例も不便益に含まれるのではないかと川上教授は語る。

「段差などがあることによって、日常生活がちょっとした訓練の場になります。このような施設で生活するだけで、高齢者にとっては身体能力の維持になるだけでなく、心の張りが保たれることも期待できます」

実は川上教授も、あえてスマートフォンや携帯電話を持たずに不便益を実践している。

「特に不便益を実感するのは、出張などに出かけたときです。もしGPSを搭載したスマホがあれば、画面を頼りに目的地へ直行しますよね。便利ですが、発見がありません。一方、町の地図をなんとなく頭に入れて歩き出すと、ときには迷って町をさまよって時間がかかります。非効率ですが、予想外に面白いスポットに出合えることもあり、ただの出張が思い出深い小旅行になるんです」
不便益を体現する「素数ものさし」
ここまで出てきた不便益の効能をまとめると、「発見がある」「楽しさがある」「工夫の余地がある」「主体性がもてる」といったところだろうか。ちなみに川上教授自身は、「不便でよかったこと、不便でなくてはダメなこと」、あるいは「不便がもたらす効用」と定義している。また川上教授が研究指導した学生たちが主体となって不便益の手法と「益」を整理し、不便益カードとしてまとめているそうだ。

さて、不便益のさまざまなメリットを併せ持つ、つまり不便益を体現するような製品がある。2011年からスタートしたデザインのワークショップ『京都大学サマーデザインスクール』から世に出た『素数ものさし』だ。2012年のワークショップで、川上教授たちによる「不便益な日用品をつくる」というテーマでのセッションをきっかけに生まれたという。
自分らしい工夫をしながら使える
川上教授は、不便益なモノ・コトをつくる際に「偶然を楽しむ」というコンセプトを大切にしているそうだ。素数ものさしが誕生したのも、まさに偶然からだった。ワークショップの参加者たちが日用品を付せんに書いてどんどんホワイトボードに書き出していき、1人の参加者がボードを見ずに実際にテーマするモノを絞り込んでいった結果、"ものさし"が残ったのだ。

「実際、ものさしに決まったときは、正直『今回のワークショップは失敗だ......』と思いましたね(笑)。ものさしから不便益なモノを創造するといっても、どのような展開になるのか想像しづらかったです」
しかし、いざワークショップが始まると、メンバーの会話は予想外に弾んだ。

「ものさしを不便にしたらどうなる? 目盛りが歯抜けになっていたら? とみんなでアイデアを出し合っていく中で、ある参加者が『目盛りを素数にしたら?』と言いだし、場が一気に盛り上がりました。調べてみると、素数にまつわる有名な数学の仮説などもあり、素数が目盛りになっているものさしを製品化したら面白い、と話がスッとまとまったんです」
このものさしは、センチもミリも目盛りは文字通り素数のみ。例えば4など素数ではない長さの線を書こうと思ったら、7-3などちょっとした計算をしないといけない。
「すべての目盛りが表示されている方が、もちろん便利です。でも、同じ4センチの線を引くとしても、17-13の目盛りを使ったり、11と7を使ったり、自分ならではの工夫ができるところに楽しさがあります」
不便益から拡がるビジネスの可能性
川上教授は、WEB上で不便益システム研究所をつくり、不便益の考え方や事例を紹介している。「不便益システム」とは、不便益なモノやコトを再現可能なシステムとしてとらえる考え方だ。7年ほど前から研究会も開催し、不便益な事例を参加者が持ち寄って共有を行っている。さまざまな学問分野の研究者のほか、企業からの参加者もみられる。

「メーカーの方も、『便利なモノだけつくっていれば売れる時代ではない、ではどんなモノが求められているのか?』と感じ、そのヒントを得るために参加なさっています」

近年は、誰がやっても同じようにできるモノでは満足せず、自分らしくカスタマイズできるモノ・コトを求める消費者もみられる。また、不便を取り入れることで、便利だけを追求していては見えないことに意識が向き、イノベーションのきっかけとなる可能性もある。不便益の考え方から、今までにない製品やサービスが生まれるのかもしれない。
こどもにとっても
「不便」が「益」となる場面は多い
そして、「不便益の発想は、教育や子育てにも益をもたらす可能性がある」と川上教授は指摘する。
「例えば学生たちとディスカッションするとき、ホワイトボードに文字を書き殴りながら議論を煮詰めていくことがあります。書く位置や文字の乱れにも情報が含まれているのですが、ワープロで清書するとその情報は除去されてしまいます。パソコンでできることをあえて手書きにしてみるなど、子育ての中にちょっとした不便をとりいれてみることで、発見があったり、こどもの思考力や表現力が育つといったメリットも期待できます」

川上教授が主宰する研究会でも、不便益についてさまざまな定義をする人がいるという。「何が不便益か」と考え始めると、モヤモヤする感覚もある。しかし、「自分が考える不便」や「得られる益」を意識することも、思考の拡がりを促すきっかけになる。何かを選ぶとき、ときどきあえて不便なモノ・コトをセレクトして、こどもといっしょに不便を楽しみ、視野を拡げてはどうだろうか。

川上 浩司

工学博士。京都大学情報学研究科准教授などを経て、同大学デザイン学リーディング大学院(後に情報学研究科)特定教授。人工知能などを専門分野として研究を行ってきたが、現在は人とモノの関係性を多様な観点から模索し、「自動化」に代わるデザインの方向性を探る。「不便益」という概念に出合い、Web上で不便益システム研究所を設立し、不便益をテーマとした研究会も主宰している。『不便益のススメ―新しいデザインを求めて』(岩波ジュニア新書)など著書多数。

文/横堀夏代 撮影/ヤマグチイッキ