ライフのコツ

2018.01.10

先住民マオリ文化が育む、国民の結束

世界の学び/マオリのこどもたちのための特別校

世界の教育情報第19回目はニュージーランドからのレポートです。ニュージーランドは、11世紀ごろ、太平洋をカヌーで渡ってきたマオリの人々が初めて発見し、定住した国です。「マオリ」と一言でいっても、約120の部族と、そこから枝分かれした準部族とで構成されています。一方、17世紀半ばにオランダ人探険家がやって来たことをきっかけにヨーロッパ人の移住が始まり、今なお世界各国から人々が移り住んでいます。そんな多民族国家のニュージーランドで、国民の心を一つにまとめているのが先住民マオリの文化。そしてその文化を支えるのがマオリ語です。一時は「消えゆく言語」とまでいわれたマオリ語を大切に教え伝えているニュージーランドの教育を紹介します。

先住民マオリの声を
聞き入れる国へ
ニュージーランドの国技、ラグビー。国の代表チームのオールブラックスは、試合前に必ず先住民マオリの伝統的な踊り、「ハカ」を披露します。「ハカ」を踊り、さまざまな民族出身の選手は心を一つにして試合に臨み、母国がまちまちな国民も、これを見守り、一致団結して応援します。
「ハカ」は、冠婚葬祭の時に踊られたり、一般校でも独自の「ハカ」が踊り継がれていたりと、国民に深く根づいています。その「ハカ」に代表されるマオリ文化は、ニュージーランドのアイデンティティとして捉えられています。
先住民の文化が、なぜ移民で構成されるこの国に浸透しているのか・・・、その理由は1840年に先住民マオリと英国政府との間で締結された、建国の定款「ワイタンギ条約」にあります。
英国をはじめとするヨーロッパからの移民が増えたことにより、先住民マオリと移民の間で土地売買を巡る抗争が起こり、これを抑えるため、マオリと英国政府との間で締結されたのが「ワイタンギ条約」。これにより、ニュージーランドは英国の植民地となります。
しかし、英語で起草されたワイタンギ条約が忠実にマオリ語訳されなかったため、両者間に軋轢が生まれ、後に「ニュージーランド戦争(1845~1872)」と呼ばれる、土地をめぐるマオリ対英国植民地軍の衝突が起こります。この結果、マオリは植民地軍に多くの土地を接収されてしまいます。
20世紀に入ると、マオリの不利な立場を是正する動きが強まり、1975年には、マオリ側から条約違反として提起された主張を審理・裁定する「ワイタンギ審判所」が設置されます。また1995年には、ニュージーランド戦争での英国植民地軍のマオリに対する不当な扱いを、エリザベス女王が公式謝罪しています。
「ワイタンギ審判所」を通して和解は進んでいますが、マオリの権利が完全に回復したわけではありません。しかし、経済面、環境面などさまざまな分野でマオリ文化が受け入れられ、国づくりにも活かされるなど、マオリの文化はニュージーランドにとって、なくてはならないものになっています。
首都ウェリントンにあるマオリのこどもたちの学校、「テ・クラ・カウパパ・マオリ・オ・ナ・モコプナ」の校門に飾られた、マオリ独特の彫刻「ファカイロ」
"Te Kura Kaupapa Maori O Nga Mokopuna" by Tom Law used under CC BY 2.0
マオリ語を使った特別校で、
世界で活躍できるマオリを育成
国をまとめるマオリ文化と切っても切れないのが、マオリ語です。マオリは、その言葉を文化と同格に考えています。つまり、マオリの人々にとって、マオリ語は単なる「言語」に留まらず、歴史、歌、格言、習慣、儀式でもあり、とても大切にされています。
マオリの人々が権利を回復しつつあるということは、大切なマオリ語の復活にもつながっています。19世紀、英国からの入植者が増えるにつれ、主に英語が使われるようになり、マオリ語は衰退の一途をたどっていました。しかし、マオリ文化の復興と同時に、1975年、マオリ語を全国民に広めるために「マオリ語週間」が開始されました。続いて1982年には、マオリのこどものために、マオリ語で教育を行う幼児教育施設(0~5歳)「コハンガ・レオ」が、1985年には初等中等教育施設(5~17歳)「テ・クラ・カウパパ・マオリ」が誕生します。
「コハンガ・レオ」「テ・クラ・カウパパ・マオリ」共に最大の特徴は、マオリ語のイマージョン教育にあります。授業など学校での全コミュニケーションをマオリ語で行うことで、マオリ語を自然に習得することができます。しかし、2013年に行われた国勢調査では、マオリ語で日常会話ができるとしたマオリの大人は21%。統計局の別の調査では、マオリ語を流暢に話せるとしたマオリの大人は11%に留まりました。これはマオリ語のイマージョン教育に今まで以上に力を入れる必要があることを示しています。
イマージョン教育の狙いは他にもあります。「生きた文化」である言葉の習得を通して、こどもたちに自らの民族に誇りを持ち、マオリの世界で生きていく上での自信をつけさせることです。なぜなら、自分をしっかり持つ人は、世界のどこででも積極的に社会に参加・貢献できると考えているからです。
「テ・クラ・カウパパ・マオリ」の教育は、国の教育カリキュラムの中のマオリ語の学校向けのカリキュラムに則っています。また、学校ごとにマオリ全体のビジョンか、地元の部族のビジョンか、どちらかを選び、それを通して教育が行われます。
どちらのビジョンにしても、授業内容は学校ごとに、生徒の家族や親族、部族、準部族、周辺コミュニティが参画してアイデアを出し合って決めます。8つの学習分野(国語、美術、保健体育、言語学習、数学・統計、理科、社会、技術)は一般校と同じですが、授業はマオリの世界観・価値観を取り入れて行われます。マオリが先祖代々蓄積してきた経験や知恵を土台に、新しい知識を積み重ねるように学習は進められます。
例を挙げると、理科であれば、人間は自然の一部であるというコンセプトが、算数/数学では、太平洋を航海してきた祖先の航海法が、保健体育では、人生は人に与えられた最も尊い贈り物との考えが、学習に取り入れられています。こうした授業を行うにあたっては、教師に加え、各方面に精通したマオリの古老などが招かれます。家族と自らの部族、準部族を重んじるマオリの姿勢が、授業の運営にも反映されています。
一般校のこどもたちの
多くも学ぶマオリ語
マオリ語は、1987年から英語や手話と並んでニュージーランドの公用語になっています。公共機関、教育機関などは、英語名に加えマオリ語名もあるのが普通です。国歌にはマオリ語と英語の歌詞があり、必ず両方が歌われます。テレビ番組や日常会話の中にもマオリ語の単語は登場しますので、マオリ語についてある程度の知識が求められます。
国の教育カリキュラムにも言語学習の一つとしてマオリ語がありますが、教えるかどうかは学校次第です。それでも多くの小中学校で、簡単なマオリ語の単語や挨拶、マオリ独特の自己紹介をできるように指導しています。
また、マオリ文化を体験するために、マオリの伝統的な装飾が施された集会所などがある、「マラエ」と呼ばれるエリアへ定期訪問を行う一般校も少なくありません。こどもたちは、踊り、歌、伝統的なゲーム、武術に親しみ、マオリならではの蒸し焼き料理「ハンギ」を味わいます。
「マラエ」訪問で、「ティ・ラカウ」という、ペアになって棒を投げ合う、マオリの伝統的なゲームをする一般校のこどもたち
2017年2月に、ニュージーランドの政治政党であるグリーン党が、現状ではマオリ語の学習は不十分だとして、マオリ語を1年生(5歳)から10年生(14歳)までの必須科目にするための署名活動を始めました。それをきっかけとして、現在マオリ語の必須科目化の動きが高まっています。賛否両論ありますが、2018年から必須科目にすることを決めた学校も出てきています。
現在、学齢人口の約2%を占めるこどもたちが、全国に約280校ある「テ・クラ・カウパパ・マオリ」に通い、マオリ語を学んでいます。一方マオリ語を教える一般校は約1,100校。学齢人口の約20%がマオリ語を学んでいることになります。オークランド工科大学が2017年2月末に行ったアンケート調査では、マオリ系の83%、白人系の80%、他の民族系の78%がマオリ語を必須科目にすることを望んでいます。これは将来もマオリ語とマオリ文化を軸に、国民が一丸となって進んでいこうという姿勢の現れといえそうです。

クローディアー真理

グローバルママ研究所リサーチャー。日本での編集者としての経験を生かし、1998年にニュージーランドに移って以来、主にライター/ジャーナリストとして印刷・ウェブ媒体に寄稿。家族はニュージーランド人の夫と、娘ひとり。


グローバルママ研究所

世界33か国在住の170名以上の女性リサーチャー・ライターのネットワーク(2017年4月時点)。企業の海外におけるマーケティング活動(市場調査やプロモーション)をサポートしている。