ライフのコツ

2015.08.19

社会を変える"インクルーシブ教育"

自分と相手を知ることが社会生活の出発点に

「個性を伸ばしてほしい」と願いながらも、一見わがままにみえるこどもの行動にいらだちを覚えてしまう。一方で、こどもが空気を読もうとする場面に出合うと、「もっと自分らしく行動させてあげたい」と感じたり…。そんな保護者の悩みに対して、「“インクルーシブ教育”の視点を取り入れることが解決の糸口になります」と力強く語るのは、“インクルーシブ教育”の研究者である野口晃菜さん。「“インクルーシブ教育”は社会で自分らしく生きていくための力になる」という野口さんに、“インクルーシブ教育”の重要性についてお話を伺った。

全てのこどもの多様なニーズに応えられる教育が模索されている
Vインクルーシブ教育"という言葉を聞いても、ピンと来る人は少ない。"インクルーシブ教育"の研究者であり、教員の教育などに携わる野口さんに、まずは言葉の定義から聞いてみよう。
「inclusiveは『包括的な、全てを含んだ』といった意味で、本来は、障がいの有無に関係なく、こどもたちが共に学ぶ仕組みを"インクルーシブ教育"と呼んでいました。日本では現在も、この定義で話すことが多いようです」
1990年代以降、欧米や日本で提唱されるようになった"インクルーシブ教育"は、主に障がい児教育において語られることが多かった。その背景にあるのは、特別支援教育(障がいのあるこどもの自立や社会参加に向けた、主体的な取り組みを支援する教育)のあり方だという。
「特別支援学校は公立の小・中学校と比べ、数が少ないため、こどもは自分の家から離れた場所に通学することが多いです。そうなると地域とのつながりが持ちにくいと言われてきました。自分の住む地域で公教育を受けた方が、地域社会とのつながりをつくりやすく、ひいては社会での自立につながると考えられています。このような観点から、"インクルーシブ教育"の考え方が生まれました」。
しかし、議論が進むにしたがって、"インクルーシブ教育"の定義は少しずつ変化してきた。現在、欧米などでは、多様なニーズのあるこども全てに対応できる教育システムを指すようになっている。「多様なニーズのあるこども」とは、障がいのあるこどもだけでなく、外国人や貧困層、難病や精神的な困難さを抱える子などさまざまだという。"インクルーシブ教育"の基盤には、「多様性を大切にするインクルーシブな社会をつくろう」という理念がある。
「例えばADHDという発達障がいを例にとっても、困難さの現れ方はこどもによって違います。診断名などの「ラベル」で決めつけず、その子がなぜ困っているかを把握して、支援のしかたを考えるのが"インクルーシブ教育"です」と野口さんは語る。
"インクルーシブ教育"をめぐる状況は、国ごとに大きく異なっている。例えばアメリカでは、「障がいのあるこどもは3~21歳まで義務教育が受けられる」「学校からの支援が不十分な場合は保護者が支援を要請する仕組みがある」など、多様なニーズに応える学校側の体制はある程度整えられている。
野口さんは中高生のときにアメリカで暮らした。そのときの経験が"インクルーシブ教育"の研究に向かわせたという。
"インクルーシブ教育"に一つの正解の形はない
日本でも"インクルーシブ教育"システムの構築が進められており、障がいのあるこどもが地域の学校を選択しやすくなるなどの制度が整いつつある。ただし、大学の教員養成課程の中に特別支援教育に関する単位数が少ないなど、学校側のバックアップ体制がまだ不十分なのも実状だ。また、"インクルーシブ教育"を実践していくうえでは、普通の教育そのものを多様なこどもがいることを前提としたものに変えていく必要がある。
今の日本の教育は多様性を大切にしているだろうか。どこを変えればよいのだろうか。例えば「こどもの数を減らして、教師の数を増やしたらよいのか」「一人ひとりに個別に対応できたらよいのか」などの問題についても統一見解はでていない。しかし、野口さんによれば、それは当たり前のことだという。
「そもそも"インクルーシブ教育"において、『これが正解』というものはありません。その国がめざす教育の方向性や、教師一人ひとりの価値観によって形が変わってくるのが自然だと思います。日本の学校教育は従来、全員が同じ授業を受けるという方法が主流だったため、今まで行われていなかった個別教育に現在は意識が向きがちです。でも、全ての教育が個別に行われることがベストなら、学校という存在は必要ありませんよね?私自身は、これまで行われてきた集団指導と個別指導をブレンドしたり、教科の特性によって分けたりする方法に可能性を感じています」
小・中学校で"インクルーシブ教育"が普及すれば、こどもたちは日々多様性が当たり前の環境で成長していくことになる。野口さんは、「これからの社会で、自分らしく生きるための鍵がそこにある」と話す。
インタビューを行った場所はITとものづくり教室の『Qremo
こどもたちがつくったロボット。
「これまでの社会では、全員が同じやり方で一つの目標に向かっていくことが前提でした。しかし近年は、凸凹な個性をもつメンバーがチームを組んでパフォーマンスを上げる方向に変わってきています。その際に、『みんなと同じようにできること』を重視する今までの教育だけでは、社会に出た時に戸惑いを感じるのではないでしょうか。実際、就活を始めた大学生でも、自分の個性がわからずに悩むケースをよく見聞きします」
確かに、多様性のある環境は、他人と自分との違いを認め、自分の個性に目を向けるうえでプラスとなりそうだ。ただし、「自分の個性を大切にすること=他人に我慢させること」であってはならない。その点をこどもが認識できるようになるためには、まず「自分をよく知ること」が大切だという。野口さんは、自分を知る手段として、こどもに向けて多様な感情認識プログラムを設けている。
「未就学児であれば、イラストを使ったシートなどを使って、例えば『今のイライラ度はどのくらい?』『何をされたらイライラする?』と問いかけ、自分の感情を客観的に認識してもらいます。そのうえで、『同じようにされると相手もイライラするんだよ』と伝えると、相手にも感情があるんだ、とすっと理解してもらえるんです」
小学生以上のこどもには、「自分理解シート」「自分のトリセツ」などの自己分析シートを使って自分を見つめ直す機会を提供する。自分で書き込むことで、「どんな時に感情を害しやすいか」「怒った時はどんな行動をするか」など、自分の感情と行動との結びつき方を理解できるという。
イライラ度を示すシート。
「自己理解シート」。
互いの個性を認め合うことがこれからの社会を支える
自分や相手の感情を認識するレッスンは、家庭でもできるという。ただ感情任せに叱ったり、理由を言わずに何かを禁止したりするのではなく、「お母さんはこんな理由でダメだと思う」「お母さんはこういうことをされて怒ってるから、ちょっとお水を飲んで落ち着いてくるね」など丁寧に伝える。こどもはその言葉を聞いて、「自分の行動が相手にどんな感情を起こさせるか」や「自分の気持ちをどう伝えるか」、「感情を爆発させずにクールダウンするにはどうすればいいか」などさまざまなことを学べるという。もちろん大人にとっても、客観的に認識したり、相手に説明したりすることは「自分を知る」という意味で有効だ。
「この繰り返しによって、相手を尊重しながら自分らしく行動する土壌がこどもの心にでき、社会に出た時には、互いの個性を尊重し合いながら働くことができます。互いの強みを生かし、サポートし合う組織なら、どのメンバーも安心して新しいことにチャレンジできるのではないでしょうか」
個性を生かし合って成果を上げるという意味で、近い未来に待つ社会の理想形はインクルーシブ社会なのかもしれない。そのベースになるのが"インクルーシブ教育"。家庭や学校が少しずつ変わることで、こどもたちはよりよいインクルーシブな社会を形成していくはずだ。
「自分の辛さや喜びを理解することが、他者の辛さや喜びを理解することにつながります」と野口さん。
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野口 晃菜

株式会社LITALICO執行役員・筑波大学大学院博士課程在籍。小学校講師・杉並区教育ビジョン策定委員などを経て、筑波大学大学院博士課程において、アメリカの"インクルーシブ教育"の研究に取り組む。
現在学びづらさを抱える子どもへの教室を運営する株式会社LITALICOの執行役員として多様なニーズのある子どもたち7000名への教育サービスの質の担保や指導員の育成に携わる。また、学校の教員向けの研修も実施している。

文/横堀夏代 撮影/ヤマグチイッキ