組織の力

2025.12.24

顧客・社会・社員をむすぶ新オフィスで、京都から世界へ発信〈前編〉

京都の老舗化学素材メーカーの挑戦

2024年に新築移転した本社オフィスが「第38回日経ニューオフィス賞 近畿ニューオフィス奨励賞」に輝いた、第一工業製薬株式会社。明治42年(1909年)に京都にて創業した、老舗の化学素材メーカーだ。新本社構築にあたっての取り組みやオフィスに込めた想いについて、当時のプロジェクトメンバーだった、管理本部 グループ統括部 事業管理部長の松吉健一さん、同本部 戦略統括部 広報IR部 広報グループ長の伊賀裕起さんにお聞きした。
写真左から)松吉健一さん、伊賀裕起さん

本社の立地課題を解決するべく
「京都サウスベクトル」に参画

――まずは、本社移転の背景について、当時の課題や状況をお聞かせください。


松吉:当社は、界面活性剤をはじめとする各種工業用薬剤や、健康食品などのライフサイエンス関連製品の製造・販売を行う、化学素材メーカーです。明治42年(1909年)の創業以来、京都の地で事業を展開してきました。

移転前の本社は当社の研究所と同じ建物内にあり、京都市内ではあったものの立地に課題がありました。具体的には、最寄駅から離れていて場所もわかりにくく、顧客、取引先や株主の皆様に気軽にお越しいただける環境ではありませんでした。人材採用の面でも本社オフィスの立地は重要であると感じていました。
加えて、収益基盤の構築、事業ポートフォリオの再構築、リソースの最大活用に積極的に取り組むとともに、「社員が働く場所」という機能だけでなく、「利益を生むオフィス」となる本社活用の推進を進めていました。

1_org_196_01.jpg 松吉健一さん




――本社移転の直接的なきっかけとなったのは、どのような出来事だったのでしょうか?


松吉:先述のような課題解決を視野に入れながら、京都周辺の土地情報は常日頃から注視していたところ、ちょうど現在の場所が空いたとの情報が入りました。また同タイミングで京都市の企業立地支援制度「京都サウスベクトル」がスタートしました。これは京都駅南エリア活性化に向け企業のオフィス・ラボを誘致するプロジェクトで、参画・連携することで市から補助金が支給されるという内容です。当社の考える方向性と京都企業としての使命等を考慮した結果、この機会がベストなタイミングと考え、移転を決めるとともに京都市の該当プロジェクトの参画にも手を挙げました。最終的に当社は、京都サウスベクトル認定第1号となり、地域貢献にもつながり大変うれしく思っています。

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京都駅南口すぐのところにある第一工業製薬の本社オフィス。夜間には同社のイメージカラーであるブルーにライトアップし、認知症支援のオレンジ色などイベントや季節に応じて色味を変えている




コンセプトは、顧客・社会・社員の
3つのU(=you)を結ぶオフィス

――その後は、本社移転に向けてどのように準備を進められたのでしょうか?


松吉:本社ビルの新築・オフィス移転が決まると、新本社移転プロジェクトが立ち上がり、新しい社屋やオフィスのあり方について検討が始まりました。移転を機にアプローチしたい当社のありたい姿を描くなかで見えてきたのが、次のようなポイントでした。

  • ◎利益を生むオフィスの実現
    ・第一工業製薬らしさの醸成
    ・社員同士の交流
    ・顧客・地域社会との接点拡大

  • ◎働き方の変革
    ・生産性の向上
    ・コミュニケーションの活性化
    ・エンゲージメントの向上


  • 当社は技術力を強みとする化学素材メーカーであることから、旧本社オフィスにおける部門別の人数割合を見ると、管理部門に比べて研究部門の社員割合が圧倒的に高い状況にありました。したがって、旧本社オフィスでは、研究所内のワンフロアを間借りしているような状態でしたので、ありたい姿の実現に向けた施策を打ち出すにも限界がありました。

    また、西日本エリアを担当する営業部員の多くは大阪支社に勤務しており、これまで管理部門と営業部門の交流機会が少なかったことから、業務上での支障が出る場面がありました。本社移転を機に大阪支社と統合することが決まっていたので、両部門における社員同士の交流やコミュニケーションの活性化は、特にアプローチしたいテーマでした。

    伊賀:当社は創業以来、「産業を通じて、国家・社会に貢献する」という社是に掲げ、B to B企業として産業界における価値創造に取り組んできました。これまで、地域社会や多くの企業と幅広いつながりを築いてきましたが、さらにその接点を広げ、一般の方々にも身近に感じていただける企業をめざしています。 顧客との接点拡大に加えて、地域社会とより深くつながり、開かれたオフィスづくりを進めるため、京都市と連携しながら検討を進めていきました。

    そして、こうした意図を集約し、新しいオフィスのコンセプトを「MUSUBU(むすぶ)」に策定しました。「MUSUBU」には、「顧客・社会・社員の3つのU(=you)を結ぶ」という想いを込めています。

    1_org_196_04.jpg 伊賀裕起さん




    デザイン思考の手法を活かし、
    本質的な課題解決に挑む

    ――オフィスを構築するにあたり、どのようなハードルがあり、それをどのように乗り越えましたか?


    松吉:オフィスの構築にあたっては、建物としての設計、働く場所との機能性、コミュニケーションを生む仕掛けなど考えるべきことが多く、従来の発想にとらわれない新しい思考が必要でした。そこで、取締役の人脈も最大限に活用し、有効な手法を模索しました。最終的には立命館大学で「デザイン思考」の専門家である教授に辿り着き、ワークショップ形式で「デザイン思考」を学び、その手法をプロジェクトに取り入れることにしました。

    半年間ほどかけて、顧客視点で本質的なニーズを探り課題を抽出し、トライアンドエラーを繰り返しながら解決策を模索しました。私たちが立てたのは、"○○な本社とは?"という問い。収益につながる本社とは?コミュニケーションを生む本社とは?といった問いを、デザイン思考を使って紐解き、具体的な施策を考案・実施していきました。

    伊賀:経営陣とプロジェクトメンバーによる他社のオフィスの視察も行いつつ、内装や什器なども細部まで検討を重ねました。途中、さまざまな制約や調整が必要となる局面もありましたが、工夫を重ねて乗り越え、2024年3月に新社屋が完成。 8月からオフィスの運用を開始しました。

    後編では、新しいオフィスに込めた想いについて、引き続き松吉さんと伊賀さんにお話を伺っていきます。




    第一工業製薬

    明治42年創業の化学素材メーカー。線香屋の納屋で、絹糸の原料である繭(まゆ)を洗う工業用薬剤の製造を始める。のちに「シルクリーラー」と改称されたこの製品は、紡糸の生産性を著しく向上させ、絹産業における量産技術の確立に貢献し、研究開発を重ねた。大正3年に合名会社負野工業製薬所となり、大正7年には第一工業製薬株式会社が設立。大正12年には上海出張所を設立し、初の海外進出を果たした。大正15年に本社と京都工場を下京区千本南に移転した際に研究部が誕生。以後、国内工場の増設、関係会社の設立、さらなる海外進出など事業拡大を続けた。平成21年には創業100周年を迎え、平成27年に四日市市霞に工場を新設した。

    文/笹原風花 撮影/佐伯亜由美