仕事のプロ
オフィスにおける「安全衛生」はなぜ重要なのか?〈前編〉
オフィスには3タイプの事故リスクが潜んでいる
組織・企業において、災害など不測の事態への対応としてBCP(事業継続計画)の重要性が注目されているが、筑波大学環境安全管理室の貴志孝洋准教授は、BCPに加えて「防災を含む『安全衛生』が企業の安定経営に直結します」と強調する。そこで、安全衛生と企業活動との関係について、MANA-Biz編集長の栗木妙が、貴志准教授にインタビューを行った。前編では、職場における安全衛生の重要性や、オフィスに潜む事故リスクについてお話をうかがった。
職場の「安全衛生」確保が 安定した企業活動につながる
栗木:貴志先生は「安全衛生」というテーマで研究や普及活動を行っていらっしゃいますが、まず「安全衛生とは何か」というところからお教えいただけますか?
貴志:「安全衛生」とは、オフィスや製造現場などの職場において、ワーカーがケガや病気をしたり事故に遭ったりするのを防ぎ、心身共に健康を守りながら働ける環境をつくるための考え方です。ちなみに事業者は、「労働安全衛生法」という法律に基づいて職場における安全と健康を確保し、快適な職場づくりを促進することが求められています。
「安全」は「防災」と少し似ているのでイメージしやすいですが、「衛生」は働く人の健康を指す概念で、少し聞き慣れないかもしれませんね。
栗木:ほとんどの企業では、オフィスや工場で防災訓練を定期的に行っていますし、オフィスに関する各種マニュアルにも、防災に関する内容は必ず掲載されますが、ワーカーの健康に関する内容をマニュアルに記述することは少ないように思います。
貴志:職場の安全衛生を高める取り組みは、実は企業の安定した経営に大きく寄与します。職場の安全や働き手の健康を守る取り組みを企業が継続的に行うことで、ワーカーは安心して働くことができますよね。その結果、ワーカーの定着やパフォーマンス向上が実現しやすくなり、安定した企業活動を支える基盤が整っていくのです。
安全にみえるオフィスにも 事故リスクが潜んでいる
栗木:オフィスでは防災対策が行われているのに対して、安全衛生は工場などで行われている印象があります。ですから、オフィスワーカーはどちらかというと、「オフィスは安全で衛生的な場所」というイメージをもっている人が多いかもしれません。 貴志:同じ働く場ではあっても、工場などの製造現場とオフィスでは、安全衛生に関する意識が異なるのは当然だと思います。事故の内容から考えても、製造業だと、大きなケガをしたり最悪の場合は命を落としたり、化学物質による爆発などで火災が起こったりすることも考えられますから。このような事故を未然に防ぐため、僕は安全衛生の専門家という立場で工場などの巡視を定期的に行っています。 ただ、実はオフィスにも、安全衛生の観点から見てさまざまなリスクが潜んでいます。工場などのリスクは目に見えやすいですが、オフィスのリスクは見えにくいため意識しづらく、事故や災害のときに対応が遅れるおそれがあります。そこが、オフィスの安全衛生を考えるうえで難しいところです。 栗木:そこはオフィスワーカーの方にも、ぜひ知ってもらいたいです。オフィスで働くワーカーは、どんなリスクにさらされているのでしょうか? 貴志 :オフィスの安全を考えるうえでは、大きく分けて「物理面」、「心理面」、「情報面」という三つの側面からリスクを捉えることができます。
物理面・心理面・情報面の リスクに目を配ることが重要
貴志:まず「物理面のリスク」は、段差でつまずいたり、什器が倒れてきてケガをするなどのリスクを指します。また、VDT症候群(パソコンなどの情報機器で長時間作業を行うことで起こる身体的不調)なども物理面のリスクに含める場合があります。 ここで強調したいのは、もしワーカーから「モノが散乱していて使いづらい」「通路が狭くて通りづらい」といった声が上がっていたら、それはオフィスにおける物理面のリスクが高まっているサインでもあるということです。安全衛生の観点から見れば、事故や避難のしづらさにつながる危険の兆候でもあります。 「心理面のリスク」は、「事故が起きる危険」を指摘しにくいなど、職場にある危険や困りごとを言い出しづらい状態を指します。安全衛生の観点で考えると、「モノが片付いていなくてつまずきやすい」といった事故の可能性を指摘しにくい雰囲気があるなら、それは心理面のリスクが高い状態ということになります。 栗木:「情報面のリスク」は、事故を未然に防いだり、災害から身を守ったりするのに必要な情報がワーカーに届いていない、といったことでしょうか? 貴志:その通りです。例えばオフィスで火災があったとき、そもそも避難経路を知らなければ避難できませんよね。また、マニュアルなどを通じてワーカーに情報が届いていても、その情報を理解し、いざというときに情報を活用してしかるべき行動をとれるかどうかは別の問題です。
リスク情報の循環が実現すれば 安全な職場に近づける
貴志:僕が今、大きな関心を寄せているのが、職場における「リスクコミュニケーション」です。ここでいうリスクコミュニケーションとは、リスク情報を一方的に伝えることではなく、ワーカーとの対話を通じて理解や反応を確かめ、いざというときに適切な判断や行動ができる体制をつくっておくことを意味します。
どの職場にも安全衛生上のリスクは存在しますが、リスク情報をただ伝達・共有するだけでは十分ではありません。ワーカーに分かりやすく伝えて理解してもらい、実際の判断や行動につながるようにすることが大切です。全員がリスクを把握していれば、事故を避けやすくなります。
栗木:リスクの「見える化」ということですね。
貴志:どこに、どんなリスクがあるかを目に見える形にして提示する「見える化」も重要ですが、情報を見える形にするだけでは十分ではありません。もう一歩進めて、ワーカーが理解し、判断し、行動できる形にリスク情報を「翻訳」するリスクコミュニケーションが大切です。そのための一つの方法が、「見える化」から「見せる化」にシフトすることだと考えています。
「見せる化」とは、リスク情報を相手に届く形で積極的に示し、理解や反応を確認する仕組みを作ることです。リスク情報が現場で共有され、ワーカーが行動した結果や新たな気づき、課題が管理層へ届き、管理層が次の対策を打つことで「リスク情報の循環」が生まれます。この循環が機能すれば、職場の変化に応じてリスクを継続的に捉え直し、事故リスクが低い状態を維持できるのです。
リスク状況は職場のリロケーションやワーカーの入れ替わり、設備のリニューアル、時代の変遷などによって変化していきます。ですから常に情報を循環させ、リスクに対する意識をアップデートしていくことが重要です。
後編では、安全衛生を確保するためにオフィスでできる取り組みや、D&I(ダイバーシティ&インクルージョン)と安全衛生との意外な共通点について、引き続き貴志先生にお伺いしていきます。
貴志 孝洋(Takahiro Kishi)
筑波大学環境安全管理室准教授、環境学博士。東京大学大学院 新領域創成科学研究科 環境システム学専攻博士後期課程修了。三菱化学科学技術研究センター生産技術研究所、みずほリサーチ&テクノロジーズを経て、2023年から現職。化学物質を中心に、製造現場や教育現場における安全衛生環境の向上をテーマに研究活動や講演を行う。著書に『安全な実験室管理のための化学安全ノート』(共著・丸善出版)など。
栗木 妙(Tae Kuriki)
コクヨ株式会社ワークスタイルイノベーション部MANA-Biz編集長。働き方のトレンドリサーチ、コクヨのオウンドメディア『MANA-Biz』を運営。専門はダイバーシティ&インクルージョン。





