仕事のプロ
オフィスにおける「安全衛生」はなぜ重要なのか?〈後編〉
前向きなコミュニケーションで安全衛生を促進
オフィスなどの職場における「安全衛生」のあり方について、筑波大学環境安全管理室の貴志孝洋准教授に向けてMANA-Biz編集長の栗木妙がインタビューする前後編の記事。後編では、安全を維持するための取り組みについてお話を伺った。
「事故ゼロ」の数字だけを追わず ヒヤリハットを共有しやすく
栗木:製造現場だけでなくオフィスにも、事故につながるさまざまなリスクが潜んでいることが理解できました。では、事故リスクを下げるために、ワーカーや管理者層が意識したいことや、実際に取り組めることはありますか?
貴志:ひとつ意識していただきたいのは、「事故ゼロ」という言葉との向き合い方です。事故が起こらない職場を目指すこと自体はもちろん大切です。ただし、「ゼロ」という結果だけを強く追い求めると、ヒヤリハットでさえ報告しづらい空気が広がり、かえって事故リスクが上がってしまうこともあるのです。
「報告したら自分の部署の評価が下がるのではないか」「上司から責められるのではないか」とワーカーが感じる職場では、表面上の事故発生数はゼロでも、水面下にあるリスクは決してゼロではありません。重要なのは、事故件数をゼロに見せることではなく、小さな異変やヒヤリハットを早い段階で把握し、次の事故を防ぐための改善につなげることです。
栗木:「事故ゼロ」を目指すことが問題なのではなく、ゼロという数字だけを追いかけないことが大切なのですね。
貴志:その通りです。「事故ゼロ」は目指すべき方向として掲げてもよいと思います。ただ、それを唯一の目標にするのではなく、ヒヤリハットを報告しやすい職場の雰囲気をつくっていくことが大切です。ワーカーが「報告しても責められない」「報告することでよりよい職場になる」と感じられる環境をつくることが、安全文化を育てるうえで重要です。
「Good Job」の評価・共有で 安全衛生にポジティブに取り組める
貴志:さらに、「Good Job」事例の収集・紹介も、安全文化の醸成に効果が高いと僕は考えています。
栗木:Good Jobは、ヒヤリハット事例とは逆に、職場で行われているよい取り組みのことですね。
貴志:例えば「重い荷物を2人で運ぶ」といったシンプルな取り組みでも、荷物の落下防止が実現しやすくなるだけではなく、ワーカーの転倒や腰痛のリスクを下げることにつながります。このようなGood Job事例を言語化し、 職場で紹介すると、ほかのワーカーも自然と「どんなリスクを減らしてきたのか」や「そんなリスクがあるんだ」と理解できます。小さな取り組みもしっかり評価し、職場で共有する仕組みをつくることで、全員が「こうすればいいんだな、自分もやってみよう」と受け止めやすくなり、ポジティブに安全衛生に取り組む空気が広がります。
栗木:Good Job事例のお話を聞いて、コクヨで長年実践している「オフィスカイゼン委員会 」という活動を思い出しました。オフィスで日々発生する困りごとを、そこで働くワーカー自身が知恵を出し合って解決する取り組みです。社内の各部署から参画するメンバーがオフィスカイゼン委員会を結成し、「傘立てに持ち主不在の置き傘が溢れている」「コンセントの位置がわかりにくい」など、オフィス運用に関する課題について情報を収集したり、実際に見回ったりして状況を把握し、カイゼン活動に取り組みます。
貴志:社内から集めた声をもとにカイゼン活動を行い、その成果が目に見える形で職場に返ってくると、ワーカーの方々も「自分が声を上げることでオフィスをより良くできる」と実感できますよね。そうした前向きなマインドをワーカーが持つことで、さらに改善に向けた声が上がりやすくなり、リスク情報も循環していきます。すばらしい取り組みだと思います。
僕も現場を巡視する際には、課題を指摘するだけではなく、現場で行われているより良い工夫を見つけようとするなど、積極的に現場の声に耳を傾けることをより一層心がけたいと思います。
安全衛生とD&Iの観点は 親和性が高い
貴志:安全衛生からみたオフィス環境のリスクについてお話してきましたが、実は安全衛生とD&I(ダイバーシティ&インクルージョン)は、いずれも「誰もが安心して能力を発揮できる職場づくりを目指す」という点で共通した考え方だと僕は考えています。
例えば「通路が狭くて移動しにくい」と感じているワーカーにとって使いやすいようオフィス環境を整備するのは、D&Iの観点では働きやすさへの「配慮」です。一方、安全衛生の観点では、日常の転倒リスクや火災などの緊急時に避難が遅れるリスクを低減する対策でもあります。
つまり、「使いづらい」「移動しづらい」といった声への配慮は、特定の人だけのための付加的な対応ではなく、結果として職場全体の安全性を高めることにもつながるのです。
栗木:確かにそうですね。コクヨでは、モノづくり・空間づくりにおいて「多様なメンバーと一緒に課題解決をすることで、より多くの人にとって利便性が上がる」と考えています。インクルーシブな取り組みによって生まれた商品や空間が事故リスク低下につながり、ひいては防災にもつながりますね。
ただ、オフィス環境において安全衛生を追求していくことは重要ですが、建物の構造や予算の制約もあり、どれだけ対策しても事故リスクはゼロにはならないのが悩ましいところです。例えば弊社のオフィスでも、車いすのワーカーが移動しやすいよう緩いスロープを設置したのですが、そのスロープによって新たな段差が生まれてしまうこともありました。
貴志:あらゆる場所をフルフラットにすることが理想だとしても、既存の建物では難しい場合があります。また、一つのリスクを下げるための対策が別のリスクを生むこともあります。そこで大切なのが、「どのリスクを優先的に対策し、限られた人員や予算をどのように配分するか」という経営判断です。
これは、安全対策に費用をかけないという意味ではありません。むしろ、安全上のリスクを放置すれば、事故や健康障害、離職、事業停止などにつながり、結果として大きな経営リスクになり得ます。一方で、一つの対策だけに過度に資源を集中させれば、ほかの重要なリスクへの対応や事業活動にしわ寄せが生じる可能性もあります。安全リスクと経営リスクを切り離さず、職場全体を見渡して判断することが大切です。
リスク要因そのものを取り除くことが難しい場合でも、「職場のどこに、どんなリスクが残っているか」という情報を共有することはできます。例えば段差がある場所には矢印マークを貼ってあらかじめ注意を促すなど、設備の改善だけでなく、運用上の工夫や情報提供を組み合わせ、オフィスを使うメンバーがコミュニケーションを重ねながら、安全性を高めていくことが重要だと思います。
多様な立場の人が意見を出し合い デザイン性と安全性を兼ね備えた職場に
栗木:オフィスの安全において難しいのが、デザイン性とのジレンマです。例えば段差に黄色と黒のテープを貼るなどの工夫をして安全性を高めていくと、見た目が悪くなることもあります。 貴志:デザイン性と安全性を両立するのは、確かに難しい面もあります。僕も以前オフィスの白い階段を下りているときに足元の段差が見づらく、踏み外しそうになってヒヤッとしました。 しかし、デザイナーやワーカー、障がい者の方などさまざまな方が意見を出し合うことによって、デザイン性と安全が共存するオフィスをつくることも可能なはずです。 これはオフィスづくりに限らず、その後の運用や職場環境整備についても同じです。さまざまな立場や知識、スキルをもつ人がコミュニケーションを重ね、気づきや工夫を共有することが、安全文化の醸成につながると思います。安全衛生は、設備を整えれば完成するものではなく、コミュニケーションの中で気づきを共有し、改善を積み重ねることによって、育っていくものではないでしょうか。 その意味でも、職場づくりに関して多様なスキルやノウハウをお持ちのコクヨ様には、今後、オフィス分野における安全文化の担い手になっていただけることを期待しています。
【関連記事】オフィスにおける「安全衛生」はなぜ重要なのか?〈前編〉貴志 孝洋(Takahiro Kishi)
筑波大学環境安全管理室准教授、環境学博士。東京大学大学院 新領域創成科学研究科 環境システム学専攻博士後期課程修了。三菱化学科学技術研究センター生産技術研究所、みずほリサーチ&テクノロジーズを経て、2023年から現職。化学物質を中心に、製造現場や教育現場における安全衛生環境の向上をテーマに研究活動や講演を行う。著書に『安全な実験室管理のための化学安全ノート』(共著・丸善出版)など。
栗木 妙(Tae Kuriki)
コクヨ株式会社ワークスタイルイノベーション部MANA-Biz編集長。働き方のトレンドリサーチ、コクヨのオウンドメディア『MANA-Biz』を運営。専門はダイバーシティ&インクルージョン。





