ブックレビュー

2022.06.03

ヘミングウェイの名作『老人と海』から「孤独が全ての始まり」だと教わった

働く人の心に響く本:生きることの原点となった一冊

生きるうえで誰もが一度は感じる孤独。ドキュメンタリー作家の小松成美さんは、中学の頃に読んだ本から「孤独が全ての始まり」と教わった。以来、生きることの原点として大切にしている一冊がヘミングウェイの名作『老人と海』だ。

島根県にある人口2,200人の離島・海士町(あまちょう)で生まれた出版社「海士の風」は、顔の見える関係性を大切に丁寧な本づくりをしています。連載「働く人の心に響く本」では、海士町と共感で繋がり、様々な分野で活躍する"人生の先輩"が選んだ一冊を「海士の風」の出版プロデューサーが紹介します。


人生を共に歩んできた
昭和の名作

今回の選書者は、ドキュメンタリー作家の小松成美さんです。スポーツノンフィクションの分野からスタートし、今では中田英寿、イチロー、YOSHIKI、浜崎あゆみ、GREEEEN等、スポーツに限らず私たちもよく知っている方々から絶大な信頼を得て、ドキュメンタリー作品や小説を執筆しています。
3_boo_002_01.jpgそんな小松さんの「生きることの原点となった1冊」はヘミングウェイ著の『老人と海』(新潮文庫)。

キューバのとある漁村に住む漁師の老人(サンチャゴ)の人生をかけた数日の物語。84日間も不漁が続き、村の人からはバカにされ、笑われ、運がないのだと疎まれる存在のサンチャゴにとって、たった一人の少年の存在だけが、ささやかな希望でした。サンチャゴはこの人生にピリオドを打つため、一人遠くの海に、漁師としての自身の存在を確かめる漁に出る。

『老人と海』(著者:ヘミングウェイ、翻訳:福田恆存 新潮文庫)




孤独とアイデンティティ喪失との狭間で
葛藤していた子ども時代

『老人と海』から「孤独は全ての始まり」だと教わった小松さん。今ではポジティブに孤独を捉えているが、この本を読む以前、小学生の頃は孤独への怖さを感じていたといいます。

「クラスの子が昭和の歌謡曲を聴いているとき、私はビートルズを聴いているような子でした。興味の範囲を人に合わせることができない。自分の世界を豊かに持っていることで、クラスの輪の中に入ることが難しかった。孤独になる怖さもありながら、他者と協調することで、自分のアイデンティティを失っていく怖さも感じていました」

輪からはみ出てしまうことへの恐れと同時に、同調することで自分を失う怖さと葛藤していた小学生時代。当時はまだ孤独を受け入れたわけではなく...、中学生で手にした『老人と海』に衝撃を受けます。




『老人と海』は
生きる原点を教えてくれた

「そこには、私と同じように周りから理解されない老人サンチャゴがいました。漁村に住んで、漁師がたくさんいる中でもサンチャゴは孤独でした。そして人生のほとんどの時間を過ごした海で、まるで自分の存在価値を探すかのように、命と誇りをかけた闘いをする。けれどこの闘いは誰も見ていないし誰も知りません。
たとえ人から賛美されたり、評価されたりしなくても、自分がこれを成し遂げたと心に深く感じること。物語の最期、死闘の末に魚を釣り上げるもサメに食べられてしまう...。けれど『自分はこれをやり遂げた!』と思えると人は生きていける。心が震えました」

以来、小松さんの頭の片隅には孤高で勇敢な老人サンチャゴが住み続けているのです。




サンチャゴのように
独り海に出る決意をする

20代の頃、某テレビ局の事務職として働いていた小松さん。当時はバブル真っただ中。同僚女性の多くは、綺麗な恰好をして有名レストランに出入りするなど楽しい日々を送り、25歳ぐらいで当然のように寿退社していた時代。

「画一的な女性の幸せやゴールを否定するつもりはありません。ですがいつか"自分だけの価値、自分にしかできない表現や唯一のもの"に出会えると信じていました」という小松さん自身も、彼女たちと同じように世の中のレールにのっていることにはたと気づきます。そして、ただ待っていているだけでは誰もチャンスはくれないという現実と向き合ったとき、頭の片隅から老人サンチャゴが現れ、「独り海に漕ぎ出さなければ、求める魚を得ることはできない」と小松さんを鼓舞。小松さんは自身の夢を叶えるべく、新たな世界へと漕ぎ出す決意をしたのです。




サンチャゴは心の英雄

それから作家になるために某テレビ局を辞め、出版社をまわり始めるのですが、行く先々で「今から作家になるなんて無理」「早く目を覚まして結婚したほうがいい」と、厳しい言葉を浴びせられます。けれど小松さんは「作家としての実績もなければ、努力もしてこなかったのだから、皆が否定するのも無理はない」と世間の厳しい意見を受け入れ、そうした厳しさをエネルギーにかえることで、作家という新しい世界に独り漕ぎ出すことができたのです。
「"誰も味方がいなくても自分で行動を起こさなければ、自分の才能、自分の存在証明、自分のプライドは絶対に手にすることはできない"とサンチャゴから学び、心の支えにしていた」と小松さんは老人サンチェゴを英雄のように語ります。

最初はほんの小さなチャンスからでしたが、ライターの仕事をスタートさせ、スポーツノンフィクションの分野で実績を重ねた後、ドキュメンタリー作家として多くの著名人が絶大な信頼を寄せる、今の小松成美さんが形づくられます。




孤独を感じている人に
「おめでとう!」を伝えたい

作家となり50冊の本を書いた今でも、「人は孤独だ」と小松さんはいいます。
「原稿を書くのは孤独な作業です。誰もみていないし、誰も助けてくれない。壮絶な過程を知っているのは自分だけ。そしてこの作品を完成させられるのも自分しかいないということも...」とサンチャゴが漁にでたときと同じ感覚を毎回味わうそうです。

「孤独になったから開ける世界や、訪れる出会いがあります。そこを見誤ると、孤独な自分をただ憐れんで、そこから動けず震えているだけの人間になってしまう。孤独は全ての始まり。だから、自分は孤独だと思ったすべての人に心から『おめでとう!』と言いたい。ここからやっと自分の人生を切り開いていけるから」

そして小松さんは孤独を深く感じているからこそ、他者を思いやることができるとも言います。
「自分が孤独であると深く理解している人は他者との関わりを大切にできます。孤独ゆえに他者を求めますが、互いの違いも尊重します。孤独な人の気持ちがわかるからこそ他者に求められたら、寄り添って手を差し伸べる。そうやって、人と人との関係が成り立ち、社会がつくられていると感じています」と。

小松さんと話していると孤独を照らす光を感じます。「その人にしかできないことがある」と、心から信じているからでしょう。とても温かく、海に漕ぎ出すようにそっと背中を押してもらえました。


小松 成美(Komatsu Narumi)

1962年神奈川県横浜市生まれ。専門学校で広告を学び、1982年毎日広告社へ入社。放送局勤務などを経たのち、作家に転身。生涯をかけて情熱を注ぐ「使命ある仕事」と信じ、1989年より執筆活動を開始する。人物ルポルタージュ、スポーツノンフィクション、インタビュー、エッセイ・コラム、小説を執筆。

萩原 亜沙美(Hagiwara Asami)

海士の風 出版プロデューサー。大学卒業後、京都にまちづくり系NPOを共同で立ち上げ、2010年に海士町へ移住。海士町のスローガン「ないものはない」を念頭に、島にないものを仲間とつくりだす。生きる力と幸福度が高い。

海士の風(あまのかぜ)

辺境の地にありながら、社会課題の先進地として挑戦を続ける島根県隠岐諸島の一つ・海士町(あまちょう)。そんな町に拠点を置く「海士の風」。2019年から「離島から生まれた出版社」として事業を開始。小さな出版社なので、一年間で生み出すのは3タイトル。心から共感し、応援したい著者と「一生の思い出になるぐらいの挑戦」をしていく。

作成/MANA-Biz編集部