仕事のプロ
チームの創造性を高める「ソース原理」とは?〈前編〉
創造は1人から始まり、共感・共鳴をもとに波及する
組織の規模や形態に関わらず、起業や新規プロジェクトなどアイデアやビジョンの実現に向けた一連のプロセスにおいて必ず働いているとされる 「ソース原理」。『ティール組織』の著者であるフレデリック・ラルーが言及したこともあり、あらためて注目を集めている。トム・ニクソン著『すべては1人から始まる ビッグアイデアに向かって人と組織が動き出す「ソース原理」の力』(英治出版)の翻訳・監修者の1人であり、ソース原理に詳しい嘉村賢州氏に、どのような原理なのかを伺った。
ビジョンを実現するためのプロセスは、 1人の人物「ソース」から始まる
「ソース原理」とは、500人以上の起業家や経営者の事例研究からピーター・カーニック氏が見出し提唱した、人がビジョンを実現しようとするプロセスを捉える原理原則のこと。ピーター・カーニック氏の後継であるトム・ニクソン氏の著書『すべては1人から始まる ビッグアイデアに向かって人と組織が動き出す「ソース原理」の力』、ステファン・メルケルバッハ氏の著書『ソース原理〔入門+探求ガイド〕―「エネルギーの源流」から自然な協力関係をつむぎ出す』(いずれも英治出版)』などにより、国内でも注目を集めるようになっている。両著に翻訳者、監修者として携わり、ソース原理のワークショップなども行っている嘉村賢州氏は、次のように話す。 「どのようなアイデアやビジョンであれ、それを実現するための一歩を踏み出したのはある1人の人物である、というのがソース原理の基本となる考えです。この人物は「ソース」と呼ばれ、あらゆるプロジェクトや個人の人生において、強い情熱や意志、エネルギーをもち、周囲を巻き込みながらそれをかたちにしようとします。ソース原理においては、みんなで意見やアイデアを出し合って合議で始めた取り組みのように見えても、実現のために動き出したのは一人の存在であり、その一人がある種の重要な役割を果たしていると考えます。その一つは、その後、起こるであろうアクションがプロジェクトの中に入るのか、入らないのかを判断できるのは唯一この存在しかいないというものです。」
ソースのビジョンに共感・共鳴した人々が集い、 個々の役割を担いながら、実現に向けて共に取り組む
「ソース」がビジョンの実現という目的のために踏み出した一歩、または目的に向けた継続的なプロセスのことを「イニシアチブ」といい、ソースがイニシアチブを立ち上げた瞬間に、「クリエイティブ・フィールド」が生まれるとされる。クリエイティブ・フィールドとは、アイデアの実現に必要な協力者やリソースを引き寄せる磁場のような役割を果たすもの。ソースが掲げたビジョンやイニシアチブに共感し、そこに惹きつけられた人々が集まり、それぞれがさまざまな役割を担いながら、ビジョンの実現に向けて共にイニシアチブに取り組む。
「例えば、映画を撮りたいとプロジェクトを立ち上げたソースがいたとします。広報や宣伝を任せられる人が欲しいとなったときに、誰かにお願いして引き受けてもらったり、広報・宣伝が得意な人が自ら手伝わせてほしいと参画したりして、クリエイティブ・フィールドに人が集まってきます。なお、ソース原理は固定的な"組織図"の発想を前提としません。しかし、規模が大きくなると組織化(オーガナイジング)は自然に進みます」
特定の領域を任され、その役割を引き受け、 そこでソースとして振る舞う「サブソース」
クリエイティブ・フィールドにおいて、特定の領域(サブイニシアチブ)でソースの役割を果たす人物を「サブソース」という。先の例では、映画の広報や宣伝を任され、それを引き受けた人は、広報・宣伝の領域ではソースとして振る舞う。サブソースと区別するため、クリエイティブ・フィールド全体のソースを「グローバルソース(全体ソース)」呼ぶこともある。 「グローバルソースは、特定の領域については信頼できるサブソースに権限を委ね、任せます。クリエイティブ・フィールドの規模が大きくなるとサブイニシアチブ、サブソースが増え、ある種のヒエラルキー(クリエイティブ・ヒエラルキー)が生まれます。注意していただきたいのが、これは創造性におけるヒエラルキーであり、人間としての上下関係のある階層性のヒエラルキーとは異なるということ。例えば、社内報の担当社員が社長コラムを掲載したいと企画し、社長に執筆を依頼した場合、グローバルソースは社内報の担当社員、サブソースは社長になります」 「サブソースは、先の映画の例のように、依頼されてクリエイティブ・フィールドに参画する場合も、ソースのビジョンやイニシアチブに共鳴して自ら飛び込んでくる場合もあります。大事なのは、言われたからやるのではなく、自分の意思として引き受けるプロセスがあること(レスポンしビリティ)。それがないまま、お金のためにやる、言われたからやる、仕事だからやる...という存在は、ソース原理では「エンプロイー(業務協力者)」と呼ばれます。 サブソースになれるかどうかは実は能力とは関係ありません。例えば、世の中の親と呼ばれる人たちは、親になるための学校で学んだわけではないのに、子どもが生まれれば親であることを引き受け、子育てにおいて未知の事態に遭遇したときにはあれこれと探索してどうするかを決めていますよね。それと同じです。責任と意志をもって引き受けたかどうか、いざというときにリスクを取れるかどうかが、サブソースであるかエンプロイーであるかを決めるのです」
ソースの役割は、リスクを取ること、 次の一歩を示すこと、境界線を引くこと
実現したいビジョンやイニシアチブに対してオーナーシップと情熱をもち、仲間のエネルギーをも引き出すソース(グローバルソース)の存在は、時として「リーダー」と混同されやすい。「リーダー(=率いる人、育てる人)ではなくアーティストに近い」、「生み出したいものがわかっていれば、そして、心の底から湧き上がる熱量があれば、誰でもソースになり得る」と、嘉村氏は説明する。
「ソースの役割は、大きく3つあります。1つめは、リスクを取ること(起業家としての役割)。これは、自らの意思で不確実な中でも一歩踏み出していくと言う意味ですが、次の一歩を(上司的な存在に委ねるのではなく)自らが決める、ということも意味します。みんなで意見を出し合うけれど、そのうえで決めるのはソース。その点で、みんなの総意で決める合議制とは大きく異なります。2つめは、次の一歩を明確に示すこと(ガイド役としての役割)。そして3つめは、境界線を引くことです(守り人としての役割)。ソース(グローバルソース)は、ある領域に関してはサブソースを信頼して任せますが、サブソースの振る舞いやサブイニシアチブの領域が境界線を超えたときには、それは違うと線引きをする必要があります。
例えば、私が講演を依頼されたとします。主催者からテーマや主旨は共有されますが、具体的に何を話すかという内容は私に任されています。ここでは、ソースは主催者で、私はサブソースです。さて、もし私が、講演時間の大部分を割いて、本来のテーマとはまったく関係のないプライベートの旅行の話をしたらどうでしょうか。ソースである主催者は、「違う、そうじゃない」とその場で伝えて軌道修正すべきですよね。はっきりと指摘できないのであれば、それはソースが怠けている証です。サブソースに嫌われたくないといった恐れから、言うべきことを言っていない状況です。サブソースに任せっぱなしでは、本来のビジョンやイニシアチブの軸がズレてしまい、クリエイティブ・フィールドの熱量も下がっていきます」
ソースの怠け者の逆に、「ソースの暴君」があると、嘉村氏は言う。
「サブソースに対してグローバルソースが口を出しすぎるケースは往々にして見られます。その背景には、思い通りにしたいとか失敗したくない(リスクを取りたくない)というグローバルソースのエゴが透けて見えます。ある領域についてはサブソースを信頼して一任するというのが、ソース原理の原則。そうでなければサブソースに能動的で創造的な仕事をしてもらうのは期待できなくなるでしょう」
後編では、ワーカーが抱える課題や関わるプロジェクトにおいて、ソース原理をいかに役立たせることができるのかを解説していただく。
嘉村 賢州(Kamura Kenshu)
1981年生まれ。場づくりの専門集団NPO法人場とつながりラボhome's vi代表理事。元東京科学大学リーダーシップ教育院 特任准教授。「未来の当たり前を今ここに」を合言葉に、個人・集団・組織の可能性をひらく方法の研究開発・実践を行っている。解説書に『ティール組織』、共訳書に『自主経営組織のはじめ方』、『すべては1人から始まる ビッグアイデアに向かって人と組織が動き出す「ソース原理」の力』(いずれも英治出版)などがある。





