仕事のプロ

2017.10.11

行動のすべては社員と社会のため

女性IT起業家ヒストリー3:母性とマネジメント

80年代に群馬県で女性SEとして起業し、現在ソフトウェアやシステムの開発のほか、ネットワークやセキュリティー設計・構築までを手がける株式会社OPENERで代表取締役会長を務める六本木佳代子さんへのロングインタビュー。4人の子どもを育てながら30年以上第一線で働き続けてきた彼女の半生を「仕事と“天職”」「子育てとの両立」「リーダー論」「ワーキングマザーへのメッセージ」というテーマに分けて4回シリーズでお届け。第3回は、社長と会長を歴任してきた六本木さんに、企業で管理職を務める女性にも参考になる、母ならではの包容力を生かしたリーダー哲学をお聞きした。

役職は「上下関係」ではなく
役割を表すものに過ぎない
「六本木さんのところで働きたいんです! 会社も辞めてきました」

長女を出産後、フリーランスのSEとして無我夢中で仕事を続けてきた六本木佳代子さんのもとに、同業の男性3人が訪ねてきた。みな二十歳前後で、六本木さん自身もまだ二十代前半。六本木さんのパワフルな仕事ぶりを見て、「この人と一緒に仕事がしたい」と参集したのだ。

「ちょうどジー・エム・ケーという会社をつくった時期でしたが、会社組織にしておけば、規模の大きい仕事も受けやすくなることを見越しての法人化でした。ですから会社とはいっても、しばらくは一人でやっていこうと考えており、人を雇うイメージはまだなかったですね。ただ、IT業界がぐんぐん成長していた時代で、私の仕事もどんどん忙しくなって、一人でできることには限界があるな、と感じ始めていたのも事実。せっかく一緒に仕事をしたいと言ってくれているのだから、これもご縁かな、と思って、社員として迎え入れることにしました」

ひょんなきっかけで部下を抱え、リーダーとしての道を歩むことになった六本木さん。とはいっても、「自分は上の立場になった」という発想はまったくなかった。

「私は会社員時代から、役職のあるなしに関わらず社員は全員フラットな関係だと考えています。技術職や営業担当と同じで、たまたま私は社長という役割を担っているだけ。だから今も、受付にスタッフがいなければ自分で応対するし、お客さまにお茶もお出しします。とはいえ、毎日一緒に働いているうちに、部下たちがなんだか我が子のように思えてきたのは確かです。実際、気がついたら社員たちのことを"うちの子"と呼ぶようになっていました」

例えば、一人暮らしの若い男性社員3人は、なかなか朝起きられず、遅刻を繰り返していたため、六本木さんは2年近くにわたりモーニングコールをしていた。「それでも電話に出ない社員には、10メートルぐらいの電話線を買ってきて渡しましたよ。枕元に電話を置いておきなさい、ってね。携帯電話の普及していない時代は大変でした(笑)」
自分の下した判断は
『本当に社員のため』といえるか?
「上から」でない接し方を保ちながらも、母親のような愛情で社員を包み込む六本木さんのリーダーぶりに、社員たちは伸び伸びとパフォーマンスを発揮した。SIシステムソリューション事業やインターネットプロバイダーの運営、自社ブランドパソコンの製造と新事業を次々と手がけ、社員数は設立当初の3名から80名以上に増えた。

会社の規模拡大にしたがって、悩む場面も出てきた。

「社員が増えるということは、それだけいろいろな考え方をもった子が入ってくるということです。企業で部下をもつ管理職の方も同じ悩みを持っていらっしゃると思うのですが、ある社員にはよくても他の社員には不満ということがたくさん出てくるし、だからといって中庸を追求すれば経営方針とずれてしまうこともある。それに、自分が直接関われる人数は、多くても7人程度ではないかと思うのですが、それを超えると、人数の節目ごとに、10人の壁、20人の壁、50人の壁...といった課題が出てきました。構成人数が変わるにしたがって組織の形態を変えることが求められるわけですから、悩みが出てくるのは当然ですよね」

そこで六本木さんは、よりよい経営者をめざして、稲盛和夫氏の経営塾「盛和塾」で経営学と人間学を学び始めた。「ここで学んだことは数え切れない」と語る六本木さんだが、特に心に響いたのは、「自分の決断は本当に正しいのか、私心なかりしか。本当に社員や社会の為といいきれるのか」という言葉だった。もともと「社員と社長はフラットな関係であるべき」という考えではあったが、この言葉を知った後はさらに「今日決めたことは、社員や社会のためになるか」と自問するようになった。夜、ふとんに入ってからの内省が習慣になり、ときには考え続けて目が冴えてしまうこともあった。

この仕事を受注したらうちの子たちは喜んでくれるかな。このサービスは社会の役に立つだろうか。より社会のためになる仕事をするために、お客さまに信頼していただけて社員が誇りに思えるような社屋をつくろう。ワーキングマザーが堂々と子どもの学校行事に参加できる風土をつくりたい。社員のために、社会のために正しいことを追求していく中で、六本木さんは改めて、リーダーであることの楽しさを実感するようになった。

「みんなで考えたモノやサービスを世に出して、それが誰かの幸せにつながる。生き生きと活動する社員を下から支え守るリーダーという仕事はすばらしいな、と思うようになってきたんです」
残りの人生のミッションは
感謝を"返謝"すること
もちろんリーダーである限り、さまざまな理不尽を受け入れなければならないこともある。「起業して10年経つころからエモーショナルに悩むことはほとんどなくなった」という六本木さんだが、社員のために憤りを感じる場面はたびたびあった。

「例えば、うちの子は悪くないのに立場上、相手先に頭を下げなければならないときってありますよね。もうムカムカして! 一時は、家に帰ってから腹の立つ相手の似顔絵を描くのが習慣になっていました。変なヒゲや女装のカツラを足したり、鼻毛をピヨーンと伸ばして描いたりして一人で笑い転げるんです(笑)。何かの形でストレスを発散することも必要ですからね」

さらに深刻な事態に陥ったこともある。グループ会社のトラブルに巻き込まれ、大きな負債を抱えてしまったのだ。6億円の投資をして、工業団地の一角にトップレベルのセキュリティを完備した新社屋をつくってからほどなくのできごとだった。それでもトラブルさえなければ、順調に返済していけるはずだったのだが...。経営者として20年以上のキャリアを積み、問題が起こっても感情が揺れ動くことはほとんどなくなっていた六本木さんだが、このときばかりは重責に押しつぶされそうになった。

「東京の自宅から本社がある群馬県伊勢崎には車で通っていたんですが、『事故に見せかけてこのまま高速の壁に激突したら、少なくとも保険金で社員や子どもたちのことは守れるかも』...そんな考えまで浮かびました」

そんな折、2回交通事故に遭った。どちらも高速道路を走行中のできごとで、命を落としかねない大事故だった。しかし2回とも、六本木さん自身は肩にシートベルトのアザが少しできる程度の軽傷で済んだ。

「特に1回目の事故では、普通ならブレーキを踏むところをなぜかアクセルを踏んだおかげで助かったんです。そのときなぜか、若くして亡くなった父母の顔が浮かびました。父と母が、『命を粗末にしてつくったお金で社員や家族を守ろうとしても、喜んでもらえないよ』と教えてくれたような気がしてしかたなかったですね。同時に、私にはまだやるべきことがあるんだな、と実感できました」

六本木さんの心は息を吹き返した。その決断は社員のためになるか、というリーダーとしての基本姿勢を思い出し、「今は苦しくても、真面目に前を向いて一歩ずつ進んでいけば、必ず光は見えてくるはずだ」と頑なに信じた。そして数か月にわたり、各方面に真摯に謝罪し、地に足の着いた再建計画を説明し続けた。

「運転資金がまったく調達できなかったので、お支払いを毎月にしていただくため、お客さまに何度も何度も頭を下げました」

そして自身の役員報酬は大幅にカットした。その結果、80人強いた社員の給与を一度も滞らせずに支払い、外注費の支払いを延ばすこともなく事業を貫いた。また、少しずつ借り入れを返済していくこともできた。それまでの誠実な経営姿勢が窮地を救った面も大きい。

「本当にあのときは、お客さまやうちの社員をはじめ、多くの人に支えてもらいました。その感謝の気持ちを、よりよい社会をつくるために生かしていきたい。それが今の私の使命だと思っています」
六本木さんは現在、4つの新事業に取り組んでいる。その中には、企業のメンタルヘルス向上などITとは直接関連しないものも含まれている。

「周りから見たら、互換性がないと思われるかもしれませんね。でも私にとっては、『社会の幸福のために、自分ができることを返していく』という点で芯は一つなんです。私の父は49歳、母は52歳で亡くなりました。父と母の年齢を超えたとき、これからの人生は他の人の助けになることに力を入れていきたい、と強く思いました。感謝を"返謝"していきたいんです」
最終回となる次回は、悩み傷つきながら仕事に子育てに奮闘する現代のワーキングマザーに向けて、六本木さんが力強いエールを送る。

六本木佳代子

群馬県生まれ。情報処理工学を学び、卒業後はSEとして勤務。退社後はフリーランスとして活躍後、株式会社ジー・エム・ケー、株式会社ジーニアスエンタープライジング、株式会社OPENERを設立。現在はOPENERの代表取締役会長。盛和塾にて稲盛和夫氏に学んだ人間学の知識や、10年以上にわたるシンガポール居住経験を生かし、枠にとらわれない経営を実践する。著書に、自社社員への「今日の言葉メール」をまとめた『ハート・オブ・マム――無償の愛が人を育む』がある。

文/横堀夏代 撮影/ヤマグチイッキ