仕事のプロ
オフィスにおけるアートの役割
能動的な関わりが価値を生み出し文化を醸成する
近年、アートを取り入れたオフィスビルやオフィス空間が増えている。企業のパーパス、ミッション、バリューなどのメッセージがアートに込められているケースもあれば、空間としての魅力を高めるために置かれているケースもある。また、社員の創造力・発想力を高めるといった効果が期待されているケースもあるだろう。「オフィスにアートがあるとなんとなくいい感じ」の奥にある効能を探るべく、心理学的観点からアートの効用を研究する慶應義塾大学文学部教授の川畑秀明先生、そして、川畑先生と共同研究に取り組む株式会社アクシス アクシスデザイン研究所の皆川雄一さん、和田俊翼さんにお話を伺った。
写真左から)川畑秀明先生、皆川雄一さん、皆川さんと共に研究に取り組む和田俊翼さん
アートを用いて価値を生み出す「オフィスのアート化」
近年、社会のさまざまなシーンにおいて、問題解決や価値創出の手段としてのデザインとアートの融合が進み、オフィスにおいても「オフィスのアート化」の流れがあると、川畑先生は指摘する。
「オフィスのアート化とは、アートを用いてオフィスビルやオフィス空間の価値を生み出す、それによって企業文化をつくっていく、という考え方です。一つには、企業としてのメッセージをアートを通して発信する、シンボル的な意味合いのアートがあります。
例えば、昨今はカーボンニュートラルの視点から、生産活動を通して出た廃材を用いたアート作品を飾ったり、廃材を活用したワークショップなどを行ったりする企業が増えています。
また、背景に企業の成り立ちやポリシーなどのストーリーを込めたアートもあります。こうしたアートは、社外に対してはブランドイメージの確立や向上、そして社内に向けてはアイデンティティ(その企業の社員らしさ)や帰属意識の形成をサポートします。この特定多数のコミュニティにおけるシンボル的アートのあり方や関係性を、Community with Artと呼びます」(川畑先生)
川畑秀明先生
Community with Artの事例として川畑先生が挙げたのが、近年増えているマンションの共用部におけるアートだ。美術館の元館長がキュレーターを務めるマンションなどもあり、「アートによりいかに意味づけし、他と差別化するかが重要になっている」と言う。
特定多数のためのアートの先には、不特定多数のためのアートが求められてくる。美術館や博物館といったそもそもアートを見せることを使命としている施設だけでなく、駅や役所といった場所でも盛んにアートを取り入れるようになってきているという。
一方、オフィスにせよマンションにせよ、メッセージをコミュニティのメンバーに「伝えること」と「伝わること」は同義ではなく、「ストラテジー(戦略) をもって浸透させる必要がある」と指摘する。
能動的にアートに関わることで、ポジティブな効果が得られる
オフィスのアート化を語るうえでもう一つの視点となるのが、アートそのものが及ぼす、ビジネスパーソンへの影響だ。アートが人間の心身に及ぼす影響については、世界的に多くの研究が行われていると、川畑先生は解説する。
「これまでの研究からは、血圧の低下、注意力の回復、不安や抑うつの兆候改善、他者とのつながりの促進、幸福感や生活満足度の向上など、ポジティブな影響が多数示されています。また、海外のある研究では、オフィスにアートを導入することで、企業における集団のエンゲージメントが高まる、ストレス度合いが低下する、ウェルビーイングが高まる、という3点が示されています。アートには、リラックスやウェルビーイングの向上といった一定の効用があると言えるでしょう」(川畑先生)
具象画展示訪問・現代アート展示訪問・美術館のオフィス訪問の前後での血圧変化。それぞれの空間で5分間過ごす前後で,具象画の展示空間で過ごすだけで血圧が下がったことを示した実験結果。アスタリスク(*)の箇所だけが統計的に有意に低下し,それ以外(n.s.と表示されたところ)では訪問前と訪問後で差がなかったというもの(出典:Mastandrea, S. et al (2019). Visits to figurative art museums may lower blood pressure and stress, Arts & Health, 11:2, 123-132をもとに日本語に翻訳)
一方、「ただアートを置けばいいというわけではない」と川畑先生。「アートに対して能動的に関わること、アートを理解しようとする姿勢が大事である」と指摘する。
「人がアートに触れるとき、感覚的な見方や感じ方は人それぞれですが、その背後にある心の動きや脳の働きは共通しています。
一つは、報酬系ネットワーク。美しいものに触れて快を感じるメカニズムです。誰しも好みは違っていても、「美しい」と感じる一瞬の心の働きは共通しています。
そしてもう一つが、デフォルト・モード・ネットワーク。車がアイドリング状態にあるように、人がぼんやりとしているときに活動する脳のネットワークで、外部に対して向けられる注意ではなく、自分に対して向けられる注意と関係しているといわれています。
アートに触れると、報酬系に加えてこのデフォルト・モード・ネットワークが活性化します。つまり、人はアートに触れると、作品を通して自己の内面を見ることになるのです。この自分の記憶や経験と重ね合わせながらアートを理解しよう、学ぼう、何かを得ようとする心の動きこそが重要で、これが創造性を駆り立てることにもつながります」(川畑先生)
「大事なのはアートを正しく理解できるかどうかではなく、理解しよう、関わろうとする能動性」と川畑先生。「自分にはわからない」とシャットダウンしてしまうと、せっかくのアートのポジティブな効能も得にくくなってしまう。アートの知識の有無に関わらず、3つのことを意識すると作品が理解しやすくなると、川畑先生は助言する。
「作品の成り立ちには、連想、比喩、抽象化の大きく3つがあります。これらを意識すると、作者はアートを通して何を伝えたかったのだろうか...という思索が深まります。この視点はビジネスへの転用も可能で、例えば、シュールレアリズムの巨匠であるマグリットは、異なるものをくっつける、真逆のものを同居させる作品づくりが特徴です。これを商品開発のシーンに当てはめてみると、鉛筆と消しゴムをくっつける、といった商品のアイデアにもつながります。機能ではなく意味をリノベーションすることが求められる今の時代において、アートを理解することは、新たな価値作りに重要な意味をもっていると私は考えています」(川畑先生)
企業のシンボル的アートは「私たちのもの」にする
「ただアートを置けばいいわけではない」のは、企業のシンボルとしてのアートも同様だ。先に「ストラテジーをもって浸透させる必要がある」と川畑先生が指摘したように、伝えたいことがきちんと伝わらなければ、コミュニティにおける効果は薄れてしまう。
「シンボルとしてのアートには、さまざまな視点があります。例えば、心理的安全性の高い場づくりという視点では、20年ほど前から、それまでの常識を覆すような画期的なオフィスがつくられ始め、いわゆる「オフィスのアート化」の兆しが見えるようになりました。リラックスできるソファや寝転べるスペースがあったり、時には「こたつ」を連想させるような、遊び心のある空間をオフィスに取り入れる企業も現れ始め、「楽しくリラックスできる環境でクリエイティビティの高い仕事をしよう」という、一つのメッセージがオフィス空間を通して発信されるようになりました。
こうしたアートの取り入れ方もありますし、企業のロゴもアートの一つと見ることもできます。大学のシンボルカラーについて調べたアメリカの研究では、その大学に通っている人たちの中でも愛校心が高い人ほど、無意識にシンボルカラーを肯定的に捉えるようになることが示されています。
大事なのは、私たちのものである、私たちらしい、というコミュニティ内での共通認識です。加えて、アートには、コミュニケーションツールになり得るという側面もあります。
例えば、来客時に会話のきっかけになったり、そのアートの背景について語るうちに愛着が生まれたりと、コミュニケーションとシンボルの共通認識化を相乗効果で高めることもできるでしょう」(川畑先生)
アートユニット「studio BOWL」とコクヨがコラボした、遊び心あふれるパブリックファーニチャー。アルファベットの「CAMPUS」を立体的なグラフィックで表現している。もとは少し寂しかった廊下や駐車場を、誰もがふらっと立ち寄れる明るい玄関口に。ランチや待ち合わせ、子どもたちの遊び場として、みんなに愛される場所になるよう願いを込めて制作している
また、アートを「私たちのもの」にするための手法の一つとして、「みんなで作る」という参加型アートも有効だと提案する。
「アーティストの作品だけがアートではありません。例えば、三重県名張市にある『まちの図工室Ⓡ』(https://machizuko.com/)では、利用者に15センチ四方の板に絵を描いてもらって、それをモザイク状に貼ってアート作品にする「る・る・る」という取り組みがあります。みんなで作る体験が、その場や作品への能動的な関わりにつながるのです」(川畑先生)
面白いことに、この『まちの図工室Ⓡ』は、町の空き家を利用して運営され、地域の老若男女が利用しており、ワークショップの開催やDIY用具の貸出しなどが行われている。地域に美術館や博物館はないが、地域の人々が「みんなで」この場所を作りあげようとしている活動そのものもアートとして見なすこともできるだろう。
三重県名張市での取り組み『まちの図工室Ⓡ』。地域の人々がDIYできるように解放されている(長岡造形大学 福本塁准教授提供)
「WORK with ART」がビジネスパーソンにもたらす変化を検証
こうしたアートのもたらす効果を「働く」に応用させようと始まったのが、「WORK with ART」のプロジェクト。皆川さん、和田さんらのプロジェクトチームが川畑先生と共同で進めている、「ミュージアムタワー京橋」(東京都中央区)でのアートの効果検証だ。2019年7月に開業した ミュージアムタワー京橋は、高層階にオフィス、低層階にアーティゾン美術館(旧・ブリヂストン美術館)が入った国内では珍しい複合施設。プロジェクトでは、「WORK with ART」をコンセプトにオフィスのロビーや共用部分にアート作品を設置し、ビジネスパーソン(入居するテナント企業の社員のかた)の感情や行動にどのような変化をもたらすのかを追跡調査している。
photo:Kazuo Fukunaga
1階のエントランスに設置されたダムタイプによるアート作品「WINDOWS」。世界各地に偏在するライブカメラ映像と、ミュージアムタワー京橋の屋上から捉えた現在の東京の空をリアルタイムに収集し、独⾃のアルゴリズムで再構築する作品。
WORK with ARTプロジェクトの発端は、皆川さんらの「生産性=効率なのか?」という問いだった。
「近年は、働く環境が ビジネスパーソンの感情や行動に影響する、オフィス環境の整備が大事だ、と言われるようになっています。業務の生産性を高める環境について考えるなかで、『生産性って効率の追求だけなのか...』という疑問が湧いてきたんです。
これからの時代に、生産性を高めるためには、効率だけじゃなく、 ビジネスパーソンが幸福感をもって働くこと、クリエイティビティを発揮することが大事なんじゃないかと。そこにアートが寄与できるのではないかと考え、WORK with ARTをこのオフィスビルの体験価値に据えました。『アート自体がもつ刺激や癒しの効果が、生産性や創造性にも影響するのではないか...』という仮説をもって検証に臨んでいます」(皆川さん)
皆川雄一さん
空間とアートを一体で捉え、働く場としての心地よさを追求
ミュージアムタワー京橋の共用部分では、空間とアートを一体で捉え、働く場所としての心地よさを追求し、五感を刺激する体験を随所に盛り込んでいる。
「共用部分なので、オフィスよりはややパブリック寄りの、環境的なアートを意識しています。外の天候に合わせて変化するサウンド、武蔵野の森を生木で再現したバイオフィリックアートなど視覚以外の要素も取り入れているのが特徴です。置いているアートも恣意的理解を求めない、機能を限定しない、抽象度の高いものにしています。またミュージアムタワー京橋のオフィスエントランスには、アーティゾン美術館への専用通路があり、テナントの社員のかたは無料で展覧会を鑑賞できます。下層階の美術館から上層階のオフィス空間までアートの風を通していく...そんなイメージで全体をデザインしています」(皆川さん)
photo:Tomooki Kengaku
ミュージアムタワー京橋3F共用部に設置された、武蔵野の森をモチーフにした植栽。自然を再現したバイオフィリックアートは、リラックス効果など心身へのポジティブな影響を狙っている。
皆川さんがプロジェクトに取り組むなかで感じている課題が、川畑先生も強調する「能動的な関わりをいかに引き出すか」だ。テナントの経営層や社員のかた向けに美術館の展覧会に合わせたアボリジナルアートのイベントを開催するなど、美術館とも協力しながらトライアルを続けている。
「文化的処方」としてのアートからオフィスのあり方を考える
近年、川畑先生が参加する東京藝術大学アート共創拠点 では「文化的処方としてのアート」に取り組んでいる。研究では、アートを通したコミュニケーションによる高齢者の孤独感やストレスの軽減に取り組んでいるという。医師による治療や投薬といった「医学的処方」、地域社会活動を通して健康や生活の質の向上を目指す「社会的処方」に加え、アートや文化的な活動を通して人々の健康や幸福にポジティブな影響を与える「文化的処方」を世の中に浸透させることが、東京藝術大学アート共創拠点のミッションとなっていると、川畑先生は言う。 「風邪を引いたら病院に行くように、ちょっと疲れたときには美術館でアートを鑑賞して心身の健康を取り戻す...といった具合に、アートの効用を知って活用してもらいたいと考えています。 この文化的処方の考え方は、オフィスにも応用できます。空間ごとに異なるアートを採用し、元気が出るオフィスやリラックスできるオフィスなどを作れば、従業員は自分の調子や気分に合わせて働く環境を選ぶことができます。アートは社会やオフィスにおけるインフラ、言ってみれば、心を元気にするための感性インフラになり得るのではないかと考えています」(川畑先生) さらに、今後のオフィスのあり方についても言及し、次のように締め括った。 「今後は、何をしたいかだけではなく、どんなオフィスで働きたいかで会社や部署を選ぶといったケースも、増えていくのではないかと思います。つまり、オフィスの物語性や意味づけ・価値づけがより重要になるのではないか、そして、その環境づくりにおいてはアートが重要な役割を果たし得るのではないか、と予想しています」(川畑先生)
川畑 秀明(Kawabata Hideaki)
慶應義塾大学文学部教授。博士(人間環境学)。専門は感性科学(心理学・認知神経科学・芸術科学)。1974年鹿児島県出身。鹿児島大学教育学部小学校教員養成課程心理学選修卒業。九州大学大学院文学研究科心理学専攻修士課程修了、後期博士課程早期修了。University College London・認知神経学研究所研究員、鹿児島大学教育学部・講師、准教授、慶應義塾大学文学部准教授を経て現職。東京藝術大学客員教授、横浜市立大学客員教授なども務める。
株式会社アクシス
1981年創立。東京・六本木のデザイン発信拠点「AXIS」をベースに、生活と社会におけるデザインの可能性を追求。生活者や企業・団体に向けたさまざまなデザイン振興活動に加えて、あらゆる分野におけるデザイン開発を実践している。なかでも「アクシスデザイン研究所」では、「生活と社会への創造力」という視点で幅広く調査・研究・デザインコンサルティングを行っている。
皆川 雄一(Minagawa Yuichi)
アクシスデザイン研究所ディレクター。一級建築士。企業・文化施設など多様な組織に対し、空間・体験を起点としたデザインコンサルティングを行う。
和田 俊翼(Wada Shunsuke)
アクシスデザイン研究所 デザインストラテジスト。





