仕事のプロ

2017.02.06

大塚グループ各社元社長大塚正士氏のトップとしての決断〈前編〉

事業へのあくなき挑戦と人心掌握術

大正10年、徳島県鳴門市に医薬原料製造の町工場として創業し、今では日本有数の医薬品、栄養食品メーカーに成長した大塚グループ。2代目社長の大塚正士氏は、戦後の混乱が続く昭和22年に父親から会社を引き継ぐと、新規事業を次々と立ち上げ、数多くのヒット商品を生み出してきたが、その一つに大型の美術陶板があること知る人は以外と少ないだろう。世界の名立たる美術館から高い技術力を認められ、世界的名画の美術陶板を制作する「大塚オーミ陶業株式会社」の設立から現在に至るまでの歩みには、大塚正士社長の先見の明と確固たる信念があった。昭和のイノベーター大塚正士氏の経営哲学について、大塚国際美術館 常務理事の田中秋筰さんに話を伺った。

さらなる技術向上へ
異業種との合併

大型タイル製造のため、鳴門の工場内に炉を造り、最初は小さなタイル製造からスタート。次第に大きなタイルがつくれるようになり、やがて、ひずみや割れのない1メートル角の合格品をつくれるまでに技術力を高めていった。その頃アメリカでも、20枚中19枚が不良品という状態だったことを考えると、大塚化学の技術力の高さがうかがえる。

「陶磁器で大型製品をつくることも難しいのに、1メートルの陶板をひずみなくつくるというのは非常に困難なことでした。完成までに4、5年がかかったと聞いています。『一度決めたことは最後までやり通す』という社長の揺るぎない信念と、それに必死に応えてきた技術者の努力の賜物です」

さらに高度な製造技術力を得るために、滋賀県信楽町の近江化学陶器株式会社(以下近江化学)に声を掛け、昭和48年に新会社「大塚オーミ陶業株式会社」も設立した。

「大型のタイルをつくる大塚化学の陶板製造の技術力は世界に通用すると確信していましたが、大量生産となると話は別です。大塚社長が決めたことですが、技術力だけではどうしようもない問題だと判断したのでしょう。陶器製造の実績と経験がある近江化学に自ら足を運び、2社それぞれの技術力を融合し、新しい市場に挑戦するため『大塚オーミ陶業株式会社』を設立します。まさに即断即決でした。自社の強み(技術力)と弱み(大量生産)を的確に見極め、足りない部分は外部の力を借りることで、新規事業をスピーディーに軌道に乗せる、大塚社長の事業戦略です」

こうして、大塚の大型陶板製造技術に、近江化学の陶器製造の長年の実績と経験が融合し、大型陶板を世に送り出す体制は整います。後編では、高度経済成長を続ける日本経済を揺るがす「オイルショック」により、設立したばかりの「大塚オーミ陶業株式会社」を襲う経営危機と、それを転機に変えた経営判断について詳しく紹介します。

大塚国際美術館(OTSUKA MUSEUM OF ART)

大塚国際美術館は、日本に居ながらにして世界の美術を体感できる「陶板名画美術館」です。古代から現代に至る、西洋美術史を代表する名画1,000余点を、陶板で原寸大に再現し、展示しています。約4㎞におよぶ鑑賞ルートには、レオナルド・ダ・ヴィンチ『最後の晩餐』、ゴッホ『ヒマワリ』、ピカソ『ゲルニカ』など、美術書などで一度は見たことがあるような名画を一堂に展示しており、世界の美術館を味わうことができます。

文・撮影/㈱羽野編集事務所