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LIFE
2019.10.01

個人の幸せが仕事の質を向上させる
「ウェルビーイング」な働き方

『WIRED』日本版 編集長 松島倫明さん

編集者・松島倫明さんは、大学を卒業後、1995年に株式会社NHK出版に入社し、翻訳書の編集・プロモーションなどを数多く手がけてきました。2018年からは、雑誌『WIRED』日本版の編集長として、テック・カルチャー誌に自然回帰的な暮らしやフィジカルを重視したテーマを持ち込んで話題を呼んでいます。そんな松島さんは、自身の暮らしにも雑誌で伝えてきたテーマを実践しているそう。今回はそんな松島さんに「働き方」についてお話を伺いました。

INTERVIEW

20代から30代の前半までは「ハードに働いていること」がアイデンティティだった

『FREE』『SHARE』『シンギュラリティは近い』など、話題の翻訳書を多く手がけてこられた名編集者の松島さんですが、若い頃は相当ハードな働き方をされていたのではないでしょうか?
松島:いえいえ、そんなこともないですよ。とはいえNHK出版に入社したのは、バブルこそ終わっていましたがバブルの残り香があるような時代で、出版業界には「徹夜してナンボ」みたいなカルチャーがまだ残っていました。当時は体力もあったので、今から思うと、ハードな働き方だったのかもしれません。そもそも20代から30代の前半までは「働いていること」がアイデンティティだったので、深夜残業や土日出勤は当たり前でしたし、よく徹夜もしていました。若い頃って実績がないですから、働いていること自体を重視しがちですよね。
それが年齢を重ねる中で変化してきたわけですか?
松島:そうですね。社会に出ていって年月を重ねるうち、「自分とは何者か」が良くも悪くも社会的に決まってくると、「がむしゃらに働いているのが自分」みたいな感覚ではなくなってくる。もちろん今に至るまで仕事への情熱は持ち続けることが出来ていますが、年齢を重ねる中で、仕事におけるアウトプットの質と量を高めるには、まず自分自身の人生が本質的に豊かである必要があると考えるようになりました。

働き方のテクノロジーにはイノベーションが起きているが、上手く使われていない

WIREDには、アメリカ西海岸にあるテック企業の働き方についての記事も数多く掲載されています。その多くは、IT技術を駆使することで、社員を幸せにすることとアウトプットを最大化することを両立させようというものだと思うのですが、なぜこうした働き方が生まれたのでしょうか?
松島:人を歯車として使ってきた工業化の時代への揺り戻しとして、人間としての幸せを見つめ直そうという動きが1960年代から70年代にかけて西海岸をはじめ先進諸国で出てきました。その中で自分の身体的、精神的、社会的なコンディションを最良の状態にもっていく、いわゆる「ウェルビーイング」という考え方が生まれた。つまり「自分がウェルビーイングであるからこそ、仕事でも最良の成果が出せる」という意識です。そのためには何よりもまず、自分自身をしっかりとマネージしなければなりません。いま先進的な働き方をしている企業には、こういった考え方が根付いているのだと思います。
そうした海外の意識、そこから生まれた新しい働き方は日本にも入ってきていますね。その一方で、さまざまな新しいシステムを導入したものの、運用面で苦労をする企業も少なくありません。
松島:旧来の日本の “働き方”との相性の悪さもあるのでしょう。年功序列や終身雇用が当たり前だった日本に、バブル崩壊を受けて欧米型の成果主義や能力主義といった新しい働き方がガンガン入ってきましたが、いまだにうまく消化出来ていないように思います。個人主義的な価値観が強い欧米に比べると、日本は共同体主義的な価値観の上に社会が成り立っているから欧米型の働き方——自分をベストな状態に持って行って、その状態で仕事に向き合うことによって、ベストな結果を生み出す——が実践しづらいのかもしれません。
なるほど。
松島:個人主義がいいか、共同体主義かいいかというのは、それぞれ一長一短あって、別に良し悪しではありません。ただ、欧米の企業で働くミドルクラス層は、最低2週間は夏休みを取っていたりするじゃないですか。それって「一人の働き手として自分はどういう能力を集団に提供するか」「それに対する対価はいくらなのか」ということをしっかりと意識しているからこそできる当然の権利の行使だと思うんです。
日本の場合、そもそも有給休暇はちゃんとあるのに、それをしっかり消化できていなかったりしますからね。
松島:ええ。日本人が「チームの機能として自分がいる」という意識を持って働いていることとも関係していると思います。そういう意識の中では、個人が休むことは、チームから特定の機能が抜けることであり「駄目だよね」という話にしかならない。もっとも、日本人は自分以外の周りの人や組織が良い状態であるということが自分の幸せにつながっていたりもします。そういった意味ではウェルビーイングの概念が違うのかもしれません。ただ、個人的には自分の能力や対価を出すことが給料につながっている形の方が、健全な働き方につながるのではないかなと思っています。

仕事のアウトプットを高めるための“攻めの移住”

松島さんは「がむしゃら型」から「アウトプット重視型」にライフスタイルを変えるために、あえて鎌倉に移住し、現在は約1時間かけて渋谷にあるオフィスまで通勤していると聞きました。なにかきっかけがあったのでしょうか?
松島:10年以上前のことになりますが、イギリス人の妻に出会ったことが大きかったですね。彼女は金融業界で働いていたのですが、職業柄オフィスを出れば仕事は終わりだし、土日は完全にオフ。ところが僕は会社の外でも24時間編集者であり続けた。彼女の目には、そんな僕の姿が異様に映っていたみたいなんですね(苦笑)。
全然、違う働き方ですから、それは驚かれますよね。
松島:そうなんです。さらに僕、というよりも僕たち夫婦にとって大きかったのは2008年のリーマンショック。妻は職を失い(とはいえ金融の世界はすごく流動性が高いので、妻は半年後ぐらいには再就職することができましたが)、「ずっと会社に勤めて、年を取るごとにちょっとずつ給料が上がっていく」という前提で生活を続けることに疑問を感じました。同時に、自分の時間を持っている方が豊かであることや、終身雇用や年功序列の終焉みたいなところにリアリティを感じたんですよね。さらに2011年の東日本大震災。都心に住んでいると、生活の中にサスティナビリティみたいなものが全くないのですが、あの震災で少しずつ生活の質について考えるようになっていきました。
生活の質を変えよう……その結果として鎌倉への移住を決めたわけですね。それにしてもどうして鎌倉だったんでしょうか?
松島:豊かさっていうものをどういう風に定義するかという問題なんですが……仕事に情熱を傾けつつ、生きていく上で一体何が豊かなのかということを考えた時に、ひとつは自然というものの中に身を置くべきだなと思ったんですね。まぁ、ものすごく個人的な趣味の話になりますけど、トレイルランにハマったのが大きかった(笑)。僕は30代を通して海外に行く機会がすごく多く、都会のライフスタイルの中でも貪欲に自然を求める姿を見てきて、自然とのインタラクションが人の幸福度に強く働くんじゃないかと思うようになっていったんですね。それで、ある時、自然の中を走ってみたら、もうめちゃくちゃ気持ちが良かった(笑)。そこから鎌倉のトレイルランに行くようになって。以前は「定年退職したら住む場所」というイメージを鎌倉に持っていたのですが、いざ移住を決める際はほとんど迷いがなかったですね。
移住に対する周囲の反応はどんなものでしたか?
松島:賛否両方ありました。友達から「引退するの?」「出世を諦めるの?」みたいなことも言われましたね。でも僕の考えは全く逆で、いわば「攻めの移住」だったんです。トレイルを走ったり、海に入れたり、自然に近いところに身を置けて、しかもローカルなコミュニティがしっかりある鎌倉に身を置く方が、絶対に仕事のアウトプットのクオリティも上がると確信していたんです。だから、これは実際に仕事で結果を出すことで証明するしかないな、と。

ウェルビーイングを意識する働き方こそが正解

松島さんのお話を伺っていると、健康的で幸せな働き方とはなにか、というものについていろいろ考えさせられます。ハードに働いていた20代〜30代があり、そして今、全く違った価値観を編集者として啓蒙しつつ、実践もされている。これから幸せな働き方を見つけたいと思っている人は、まず何から始めるべきでしょうか。
松島:通勤や勤務の時間、勤務場所もふくめて仕事を細かくバラしてみて、自分の状態を最高に持っていくにはどうしたらいいかを考え、あらためて「組み立て直し」の作業を行うこと、でしょうか。僕個人としては、オフィスの内側ではなく、外側のあり方を変えたことが大きかったです。
オフィスの外側のあり方ですか?
松島:はい。例えば僕は鎌倉に引っ越したことで、通勤に片道一時間以上かかるようになったわけですが、それを有効に使えていると思います。電車の中で座ってパソコンを開いて1時間集中して仕事ができますし、あるいは仕事柄、文字を大量に読む必要があるので、じっくり本を読んだりもできます。通勤時間をスマホを見て潰すのではなく仕事の延長時間にできることで、その分、朝の脳が一番働く時間に車中で仕事をしたり、早くオフィスを出て帰ったり、誰にも邪魔されないすごく貴重な時間になっています。それと、やっぱり自分の心身の調子を万全に整えることでしょう。例えばクリエイティヴな思考が求められる会議が予定されていたら、自分がどうやったら最高の状態でそれに参加できるのかを考える必要があって、そのためには例えば自然の中で走ったりリフレッシュしたりすることで脳を活性化させるのがいい。こういうマネージって、まだ個人に任されていますからね。
最後に今後の働き方の変化について、どのように考えられているか教えてください。
松島:個人的には、今回お話したウェルビーイングを意識する働き方が正解なんじゃないかなと思っています。ただ、こうした働き方もテクノロジーを使って数値を追いかけたり表面だけを真似しても効果を発揮しません。まずは本質を掘り下げて、ライフスタイルとして変えていく、そのロールモデルを提示することで社会を動かしていくことが、「実装するメディア」というアイデンティティを掲げる『WIRED』日本版のミッションだと思っています。

PROFILE

松島倫明さん
WIRED日本版編集長 1972年東京生まれ。
一橋大学社会学部卒業後、1995年株式会社NHK出版に入社。
村上龍氏のメールマガジンJMMやその単行本化などを手がけたのち、翻訳書の版権取得・編集・
プロモーションなどに従事。編集を手掛けた書籍に、『FREE』『SHARE』
『ZERO to ONE』『〈インターネット〉の次に来るもの』『シンギュラリティは近い』
『壊れた世界でグッドライフを探して』『BORN TO RUN』など。2018年6月より現職。
STAFF
取材・文/ 吉田大 撮影/ 今井裕治
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